「元気があれば何でもできる!」と猪木は言った。できる!とは言わないが、紛争地に向かうジャーナリストのように、やる気があるなら何でもすべきだと思う。一方、やる気をなくした活動はどうだろうか?地域医療での経験から言えば、活動の本質から外れ歪んだ活動になってしまう。
医療は、セィフティーネットであるべきだと思う。戦後はまさにそうだったろう。高度成長期に地方のセィフティーネット充実のため、潤沢な予算を背景に自治体が中心になり多くの公的病院が開設された。経済的な安定がなされ生活が豊かになり、民間医療施設も地方の医療の担い手になったころから状況は変わった。セィフティーネットとして自治体が医療を提供する必要性が低下した。その後バブルがはじけて効率性が問題になり、この国は自己責任を国民に押し付けるようになり、行政はセィフティーネットとしての医療を維持するヤル気がなくなった。やる気はないのだか、地域を維持し就業の場を提供するためには潰す訳にはいかない。そういわないと行政は批判され地元議員は票を獲得できない。セィフティーネットとしての医療の本質を理解することなく、お偉方はただ継続させることだけを求めてくる。本質を考えずに存続させることを許してもらうために、マイナス点を少しでも減らすことに躍起になる。赤字を出さないように収益を挙げろとか、患者様を不快にさせないよう接遇をちゃんとしろだとか、職員が不祥事を起こさないよう厳しいコンプライアンスを求めてくる。肝心のセィフティーネットとして地域医療がどうあるべきかという本質は関係ない。医の心などどうでもよいのだ。こうして慇懃無礼な医療が蔓延る。
2009年にブログを開始したのはこれがきっかけだった。慇懃無礼な医療に関与したくなく、結果的に私は県立病院を辞めふらふらしだしたのだが、10年以上経って同じようなことが身近に起きている。そこからどう身を引くかが当面の私の課題。
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