社会的活動の規定因子

やる気のなさそうな私のやる気の源は、「継続することこそ意義のあること」との考えに基づいているとどこかで書いた。しかし、継続させることだけが目的で、それ以上の目的や必要性が見出せない社会的活動の場合、その活動は歪んでしまうことが多々ある。まずは一般的に社会活動というものがどういう因子で規定されているかを考えてみる。

一般的に社会的活動がうまくいくかどうかは、1)やる気(モティベーション)、2)必要性、3)効率性、4)リスク、の4つの因子のバランスによって規定される。やる気があり、必要性が高く、効率的でリスクの少ない活動はうまくいく。しかし、やる気が十分あり必要性が高くても、リスクを伴い非効率的な活動であるなら二の足を踏む。たとえば現在であればウクライナの現地に入る支援などがそうであろう。1)、2)はとてつもなく高い。だが現地に入るのは危険だ。また物資を現地に届けるには種々の関門があり、費用・時間がかかる。時には横領されたり足下をみられて多額の出費が必要になったり効率的な支援は難しい。よって一般的に支援活動として成立しがたい。しかし直接の支援活動ではないのだが、真実を追求するジャーナリストの場合どうであろうか?当然ながら命の危険は伴い、人の不幸を売り物にした売名行為と非難されるリスクがある。そのうえ真実に行きつけるかどうかは賭けのようなもので、たとえその真実を報告できたとしても得られる報酬は命を賭した対価としては不十分であり非効率的だろう。ハイリスクで非効率的な活動であるのだが、真実を報道することに使命感をもっているジャーナリストのやる気はそれを凌駕する。

このように、社会的活動を推し進めるアクセルの働きをするのが1)2)であり、ブレーキとなるのが3)4)である。ブレーキがいくら強くとも、アクセルを強く踏み込めばその活動は推進される。問題はアクセルが効かなくなったときにどうするかだ。

シャクゲバ

シャクゲバ=尺八を吹くゲバラ。この世の中を生き抜くには、この姿が必要と思いこの名前にした。日々感じることなどつづっていく予定。

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