善き媒介者

先日BSの番組をウツラウツラしながら見ていた。だから何という学者さんだったか紹介できないのだが、ある日本の哲学者が言った「死者に対する敬意がなければ、現在の我々の生は薄っぺらいものになる」という言葉が記憶に残った。なるほど、と思った。

自分の存在というものに、さしたる価値はないと思っている。普遍的善を体現するにはちんけでちっぽけなオヤジでしかない。そんな私ではあるが、過去から未来につながるいっときのつなぎ役として存在していることは間違いない。私の一生などとるに足らないものであるが、せめて未来への悪いつなぎ役にはなりたくない。できるなら善きつなぎ役でありたいと思う。だから、「過去から未来への善き媒介者となっている」と確信できた時、私の一生には価値があると胸を張って言えるんだろうなと思っている。そうなるために必要な態度は、誠実に死者に敬意をはらうことと腑におちたわけだ。

一人の人間の能力には限界がある。ノーベル賞をもらうような優秀な人間であろうと、一人の知識だけでこの世の中全てを理解できるわけではなく、何が正しいものか確実に判断できるわけではない。だから、何を大切にすべきか?何が人間に幸福をもたらすか?何が人々を傷つけるか?普遍的善は何か?それをできるだけ正しく判定するためには、自分の思想に執着することなく謙虚に、過去に目を向け過去の人が大事にしてきた倫理・価値観を継承し次世代に伝える。あるいは醜悪で人々に害悪をもたらした過ちを二度と繰り返さぬように警鐘し続ける。それを自分にできることは何か誠実に日々の暮らしのなかで考え続けることが価値あることだ。

その点で、菅内閣は薄っぺらな内閣と言えよう。


シャクゲバ

シャクゲバ=尺八を吹くゲバラ。この世の中を生き抜くには、この姿が必要と思いこの名前にした。日々感じることなどつづっていく予定。

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