中村医師はスゴイ。海外の支援を始めたのは30代後半で、私と同じく少し遅めであるのだが、それから30年以上アフガンのジャララバード付近に留まり支援を続けてきた。ジャララバード近郊のアフガンコミュニティーに入り、現地の言葉をマスターし現地に溶け込んだ。一時の対症的な支援ではなく、アフガンの人たちが継続して平和な暮らしの中で過ごせる道を探り続けていた。自然とその活動は医師という枠を超えていった。旱魃被害から砂漠と化し、清潔な水が手に入らず下痢で命を落とす子供たちを多く目の当たりにしたのだろう。それだけではなく、日々の生活が成り立たなくなった農民たちが、銃をもって傭兵として働くしかない姿を見続けてきたのだろう。飢えや渇きは医療では治せないとの信念の元、90年代には既に井戸堀を開始し、2000年以降は「100人の医者より1本の水路」といって、本格的な水路づくりに自ら先頭に立ち従事してきた。
長期にわたり継続し、医師の枠を超え先頭に立ち働いていた。
つくづく惜しい方を失ったものだ。
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