昨夜、NHKのSONGSは井上陽水の特集だった。小学生時から好きで聞いている。彼の歌声はもちろん、彼の詩も好きである。今や井上”妖怪”となっている。年々、歌い方や身振りが妖しくなっている。インタビューで彼は自分のことを「でたらめでいいかげん」「この50年間真面目に一生懸命音楽と戦ってきた、とは全く言えない」ゆえに「懺悔」の気持ちがある、と面白おかしく話していた。NHKは番組の冒頭で、そういった陽水のスタンスを「諧謔」という言葉で評していた。おそらくは、モーツァルトも同様であっただろう。天才ゆえ、余裕をもった遊び心に満ちている。
陽水の対極の姿勢で音楽に対峙していたのが尾崎豊だと思う。若さゆえのまっすぐさで鮮烈なメジャーデビューをし、”若者たちの神々”と持ち上げられた。その偶像を守らねばと、真面目でストイックな彼は悩んだ。しかし、デビュー時代の楽曲を超えるものはなかなか生み出せなかった。成長期の自分が否定した”大人”となりつつあった時、彼がどう変化していくのか興味があったのだが、潰れてしまった。もう少し、陽水のように遊び心をもっておれば・・・。
陽水のもつ余裕をもったユーモアは好きであるが、それを押し通すことは難しい。私自身は、自分のことを向上心のない腐れ医者で適当ででたらめな野郎だと自覚はしている。しかし、TVや新聞・ラジオのインタビューでそれを前面に出すことはできない。相手が思い描いているインタビューや記事にあうよう、差し障りのないコメントをしたりする。素の私など出してしまえば、採用はされないだろう。カットされるに決まっている。それではわざわざインタビューしに来てくれた記者さんに申し訳ない。ゆえに心にもないことをいったりする。嘘つきだ。(articlesのページを参照ください。このところ新聞記事を切っ掛けに立て続けに取り上げられたTV・ラジオをアップしてます。話半分に評価願います。)
昨日はKさんと桜見物。本日Kさんはお義母さんとポーランドに旅立った。ワルシャワとアウシュビッツを訪問する予定だ。沖縄など虐殺のあった地に行くことを嫌がっていた彼女。大人になったのかな?
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