資格なしの医者

専門医は必要である。しかしそればかりでは高齢者医療や地域医療は成り立たない。その解消には、幅広い疾患対応ができる医師が必要である。というのが今までの話。そんな事は解りきったことだ。古くは昭和47年の自治医大の設立に始まり、近年では各地方大学の医学部で卒後何年かは地方での勤務を条件に地域枠の募集もされるようになった。さらには家庭医や総合診療医の存在にスポットライトが当たり、NHKではドクターGといった番組が放送された。かかりつけ医を活用するような政策誘導もされている。しかしそれでも地域医療の崩壊は進んでいる。私は、専門医を求める需要者(患者)側と専門資格を欲しがる供給者(医者)側、双方に原因があると思っている。それをこれから数回に分けて述べていくつもりなのだが、その前に私の経験を一つ。 

私は何一つ専門医資格を取っていない。博士号も内科専門医すらもっておらず医師免許があるのみの不埒な医者だ。向上心に欠けた面倒くさがりの腐れ医者というのが私だろう。内科専門医をとる機会はあった。経験した症例レポートを充分揃え、あとは提出し審査して頂いて試験を受ければありがたい内科専門医資格が取得できるところまではいっていた。しかし止めた。ちょうど海外をほっつき歩いていた時期と重なったことが一因だった。その後徳島県南の病院で働き始め地域医療に従事した。24時間on callで実によく働いていたと思う。この時にも取ろうと思えばとれたのだが、試験に出かけたり、資格を取ったあと更新に必要な単位取得のための勉強会やら学会参加などを疎ましく思い、止めた。専門医資格を取り維持することより日常の診療を優先した。結果、卒後29年目になるが、私の肩書は医師でしかない。そのため、海外の医療支援に従事し始めた時、私は正直にGP(general physician;一般内科医)と海外の医師に自己紹介していた。すると相手側の馬鹿にする態度に気づいた。専門医ではない医者は格が低いと、あからさまな態度がみられた。それゆえ海外の医者と話す時、hemato-oncologist(血液腫瘍内科医)と名乗ることにしている。血液内科で2年あまり身を粉にして働いていたとはいえ、支援活動を円滑に進めるための経歴詐称だ。許されないか?

 海外のみならず日本の医学界、いや、一般の間でも専門医資格は重視されている。○○専門医と言った方がカッコいい。できる医者のように感じる。もちろん資格を取るために勉強し経験を積んだことは間違いなく、日々の勉強にも熱心であろう。専門医資格をもつということは、その能力に公的にお墨付きを与えられたということだから、間違いではない。けど、資格をもたないのは必ずしも能力が低い医師という訳ではない。それだけは言っておきたい。

写真は私が福島で勤めている病院。働かせていただきながらこんなこと言っては失礼だろうが、長らく病院の方向性が定まっていなかった。パートの専門医を中心に専門外来を揃えてはいた。そのために多額の人件費を費やしてきた。しかし常勤医で働く専門医がおらず、入院で専門医療が施せる状態にはなく、入院患者は思ったようには増えなかった。どんな患者層をターゲットに、どういった医者を集めどんな医療を目指すか?そろそろ明確にせざるを得ない状態になっている。

シャクゲバ

シャクゲバ=尺八を吹くゲバラ。この世の中を生き抜くには、この姿が必要と思いこの名前にした。日々感じることなどつづっていく予定。

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