扇動されないために、3)無欲なる人

不平・不満を焚き付け、不安を煽り、怒りに油を注ぐ攻撃的な扇動に乗っかってはいけない。社会は分断され基本的人権は蔑ろにされるだろう。しかし、攻撃的ではないおいしい言葉にも注意すべきだ。簡単に乗っかってはいけない。「減税しますよ、給付金出しますよ、儲かりますよ、援助しますよ、予算付けますよ、どんどん発展させますよ」などなど、おいしい言葉を政治家はよく口にする。政治家は票が命だ。そのためには人々を喜ばせ、より多くの有権者に直接的に利益をもたらすような施策を示すのが手っ取り早い。確かな政治信条や将来の日本を考えての施策でなくてもいい。票を得るための甘言でいいのだ。その言葉に乗っかってはいけない。

生きるのに厳しい境遇の人がいる。少しでも自分の生活が豊かになり、子育てに余裕が出るような施策を支持するだろう。当然だ。それが政治だ。けど余裕のある人もいる。余裕のある人は、何を一番に考えるべきか?さらに自分の富が蓄積しさらなる発展を願うべきか?もちろん悪くはない。そういった欲は誰にもあり、その権利はある。しかし、自分がさらなる富を得たとして、それがどこかいつかだれかの富を奪い取ることになるとしたらどうだろうか?あるいは、自分が放棄した富が、どこかいつか誰かのいくばくかの幸福につながるとしたらどうだろうか?普通の人は、さらに富を得ることを恥ずかしく思い、いつか何処かの誰かの幸せを望む施策を選択するのではないだろうか?よりよい未来のためには、自分ファーストでない姿勢が必要だ。そうあって欲しい。だが、政治家の甘言は、我々の欲を刺激し判断を誤らせる。「もうちょっと豊かになってもいいだろう。政治家が勧めてるんだ。それに乗っかって何が悪い?」と考えて甘言に乗っかってしまう。

おいしいことを言えば愚かな民衆はしっぽを振ってくると政治家は思っている。彼らの人を馬鹿にした思惑に乗っかって、愚民になっちゃあだめだ。そのためには無欲なる人になることだ。全く欲を捨て去るということではない。仏教用語でいう無欲であり、欲にとらわれず必要以上に求めすぎず、満足する心を持つという意味だ。満足しておれば余裕がでる。余裕があれば我が身のことだけでなく、弱者や未来の人々に思いを馳せることができる。政治家の票取りに利用されることなく、世のため人のための真の政策を見分けることができる。

井上陽水のデビューアルバムの一曲。小学生の私には、傘がないの歌詞はピンとはこなかったが、この歌の詩は分かりやすく納得した。

シャクゲバ

シャクゲバ=尺八を吹くゲバラ。この世の中を生き抜くには、この姿が必要と思いこの名前にした。日々感じることなどつづっていく予定。

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