反戦

戦争。極わずかな者を除いて、誰も望まないだろう。大方の人は殺し殺されることなどしたくない。もちろん私もそうなのだが、仮に私が20歳そこそこで第二次大戦のような戦争の中で生きていたとする。徴兵拒否できるだろうか?非国民との罵りや特高の拷問に屈することなく、反戦を訴え続けられるだろうか?戦場に行ったとして銃をもつことを拒否できるだろうか?戦場で非戦闘員に対する略奪・強姦・殺戮といった非人道的行為を拒否できるだろうか?私は自信がない。たぶん無理だろう。嫌々ながらも戦場に行き、消極的に目立たぬ戦地の隅の安全な場所を探し、周囲の惨状に目を閉ざして見ぬふりをする程度が関の山だ。

戦争が一たび生じれば人々はその狂気に翻弄される。殺されまいと逃げまどう。時には人の足を引っ張ってでも自分だけ助かろうとする。非人道的行為から目を背け自身の平穏な日常に逃げ込んだり、自分をごまかし安易な正義に熱狂する。中には狂気の中にすすんで飛び込み、正義の旗のもと非人道的行為に手を染めるものもいるだろう。戦争さえなければ普通に生きるであろう平凡な我々だが、戦争が始まればいずれかの究極の選択が迫られる。

戦争のなかで正常な判断と理性を保ち、人道的立ち振る舞いを維持することは困難だ。人々の狂気を刺激し、非人道的行為を強制するのが戦争である。その傷は世代を超えても癒えることはない。憎しみの連鎖は断ち切りがたく、ぎくしゃくした緊張関係は長期にわたり持続する。日中・日韓関係やパレスチナや旧ユーゴの問題などみれば明らかだ。戦争により生じた負の遺産を未来の人々に渡したくはない。よって国は、何が何でも戦争を起こさせないことを第一とすべきだ。

シャクゲバ

シャクゲバ=尺八を吹くゲバラ。この世の中を生き抜くには、この姿が必要と思いこの名前にした。日々感じることなどつづっていく予定。

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