「受容する」の項目で、トラウマを与えた相手の存在を受容するしかないと書いたが、それを面と向かってイスラエル人に言えるかというと自信はない。2002年くらいにごく普通のイスラエル人の女学生さんと話した時、私が"自爆テロ"(sucide bomber)という言葉を使ったとき、その娘は即座に厳しい口調で”殺人テロ”(homicide terror)と言い直し、この人は何もわかっていないという顔をした。彼女の中の深い怒りを感じた。多くのイスラエル人は同様の反応をするのだろう。外部の人間が「受容するしかないんだ」といっても拒否されるだけだ。
ダニエル・ハノッホというホロコーストのサバイバーがいる。91歳。壮絶な経験をしながらホロコーストを生き延びた。「メンゲレと私」というドキュメンタリー映画でそれが語られているとのこと。残念ながら私は見ていない。PRフィルムで観る彼の表情や語り口には哲学的なものを感じる。彼はアウシュビッツの経験は「いい学校だった」と皮肉を込めて言っている。トラウマが深く刻まれぬよう、面従腹背で苦難の時代を生き抜いたのだろう。彼が今回のイスラエルのガザ侵攻にどういう立場なのかは知らないが、このドキュメンタリーの監督は武力や暴力では何も解決しないという考えをもっているようだ。受容できなくとも共生の道を探ってほしいものだ。
イスラエル国内でガザ侵攻に反対の意思表明をしたイスラエル人たちは激しいバッシングを受け、時に拘束されることもあると聞く。おいそれと自国の過剰な侵攻に正面切って反対意志を表明することはできないようだ。91歳のサバイバーである彼でも安易には発言できないだろう。政治が、民族のトラウマを利用しているのだ。
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