ユダヤ民族のトラウマ

ここからは、組織の問題を離れる。もういいだろう。イスラエルの過剰な応報というものからの連想だ。パレスチナに対するイスラエルの反応は過剰だろう。世界各地で親パレスチナのデモがあり、アメリカ以外の各国首脳はイスラエルの攻撃に憂慮を表明している。だが一方でユダヤ民族のトラウマを訴え、イスラエルを擁護する論調もある。

ユダヤ人は、ユダヤ王国がローマ帝国に潰されて以降(それより前のエジプトを出た時から?)流浪の民となり、そこで長年被り続けた苦しみから民族的なトラウマをもっているという考えがある。ユダヤ人は第二次大戦が終わるまで自分たちの国を持てなかった。中世以降キリスト教が席巻するヨーロッパでは、各地に散らばったユダヤ教徒たちは異質の民と扱われ迫害・差別の対象となっていた。それをナチスが利用しユダヤ民族浄化を図るための”最終解決策”を実行した。ユダヤ民族の存在権を否定されこの世から抹殺されかけたのだ。これは誰もが認める苦難である。その長年の苦しみに対するトラウマがユダヤ人の根底には存在する、という考えだ。国をもっていなかったためにナチスに効果的に抵抗することができず、みすみす大虐殺を許してしまったという強い思いが戦後イスラエル独立の礎になっているのは間違いない。ゆえに、イスラエルに対する批判的な論調にはことごとく強く反論し、ユダヤ人の存在権を損なうような意見の存在を決して許さない。アメリカのユダヤロビーストなどがそうだろう。イスラエルもしくはユダヤ人に批判的言葉を見つけたら強硬に意見する。時に吊し上げではないかと感じるほど過剰に攻撃的な反応もある。たとえ些細な言葉であっても、イスラエルの存在権が脅かされたと解釈し過度の防衛反応を示すのだろう。それはイスラエル建国までに受けたユダヤ民族の根底に流れるトラウマがあるためだというのが民族トラウマ説だ。

民族のトラウマというものが果たして存在するのか?人間の潜在的な記憶というものを考えると、おそらくは存在すると私は思う。例えば、人間は本能的に高所や蛇・尖ったものに恐怖を感じる。これは個人的な経験でなく、ホモサピエンスという動物が経験してきた我が身に危険を及ぼすものに対する恐怖を記憶しているからだといわれる。長年苦難の歴史を歩んできたユダヤ人に、民族のトラウマというものが存在しても不思議ではない。

だが、だからといってパレスチナに対する過剰な応報は許されない。次項でその理由。写真はアウシュビッツのガス室にて。2004年に訪れ尺八を吹いた。

シャクゲバ

シャクゲバ=尺八を吹くゲバラ。この世の中を生き抜くには、この姿が必要と思いこの名前にした。日々感じることなどつづっていく予定。

0コメント

  • 1000 / 1000