組織の問題発覚当初から理事会に対して違和感抱いていた。それは、”責任”の問題だった。損害が発生し”応報”を求めるためには、その損害の規模を明確にする必要はある。その一方、損害を生み出したものが何であり、責任の主体がどこにあるのかを明確にしなければならない。責任主体が一つのみで、その主体の明確な自由意志により損害が生じたのであれば、その主体一つのみに損失に匹敵する”応報”を課せばよい。だが責任の主体が複数で自由意志があったのかどうか不明確であった場合、”応報”を課すべき対象やその量刑の確定は困難になる。
問題発覚当初から「全責任は問題を起こしたローカルスタッフにあり、理事会(組織)がそれを調査し罰する」という構図が当たり前のように成立していた。理事会としては「我々は損失を受けた100%被害者」という認識だったのだろう。問題を起こしたローカルスタッフは唯一の責任の主体で、損失を受けた組織は正義の鉄槌を下す側だった。量刑を設定するために組織が被った損失がいかほどかを算定しようと理事会は調査を行った。だが責任の一端は組織側にもあると考えていた私は、理事会が一方的にローカルスタッフを調査し罰するという姿勢に違和感を感じていた。責任を負うべき組織が、損失を調査し責任をローカルスタッフ一人とみなして罰を与える。これは不公平だ。公正な調査にはならず罰は不当なものになる。その後も責任の一端を負うべき理事会は、延々と一年ほど断続的に頭を突き合わせ、曖昧な損害に関する調査報告を聞き、さらなる調査が必要だと話し合い、合間合間で当事者のローカルスタッフをディスっていた。10月7日のハマスの暴挙を理由に、ハマスを殲滅しようとガザ全土に攻撃を続けるイスラエルと同様の構図だと思う。
私は理事会に付き合いきれず、2022年の春からはいくらか身を引いて傍観者的に成り行きをみるという選択をした。理事会の姿勢はその後も変わることはなく、組織の責任に関する考察は全くないまま2022年の秋に、全責任をローカルスタッフに帰結し損失を最大限に見積もった応報が決定された。責任の主体をローカルスタッフのみとすれば必然の結果だ。もっと早い段階で怒りをぶちまけるべきだったと後悔しながら反対意思表明をし、理事会に訣別した。
Kさんは能登半島へのDMATの募集に手を挙げていた。よりやりがいがあり自身の存在価値を確認できる仕事をしたがっている。だが派遣は中止になった。奥地の避難所へのアクセスが十分回復していないことが理由だそうだ。支援を届けられない避難所がまだあるようだ。被災者の不安はまだ続く。Kさんのつらさも続く。だが、いつかはきっと晴れる。
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