ジャーナリストの価値

安田純平さんが解放された。何度かアンマンで会ったことがある。 以下、2015 年 02 月 21 日 のブログより改編。 

 安田さんのような紛争ジャーナリストと呼ばれる人たちの多くは、激しい戦闘や殺戮シーンのような狂気そのものを伝えるのではなく、狂気に翻弄される市中の人たちの姿をとおして、間接的に人間のもつ狂気をあぶりだしている。 紛争という狂気に支配された地にも、ごく普通の人たちがいる。狂気に巻き込まれ、殺され、破壊され、逃げ惑う。狂気に巻き込まれまいと必死で理性を保ち、家族の平安とごくあたりまえの生活を維持しようとする人たちがいる。狂気に抗い、耐え忍び、生き抜こうとしながらも、中には狂気に捉われ自ら狂気に身を投じる人もいる。いずれも我々と同じ普通の人々だ。たまたまシリアやイラクなど、紛争という狂気の中に生れ落ちただけである。人間が創り出した狂気により、人間性を奪われ破壊される被害者たちは、我々と何ら変わりない人々である。その襲いかかる狂気の残虐性・悲劇性・忌避性を、狂気で満たされた地に赴き、われわれに伝えるのがジャーナリストの仕事だ。 

 それは「ここにいじめが起きてますよ!」と声を上げることと同じだろう。その警告を受けて、我々がどう動くか?彼らのレポートはそれを問うている。関わりのない世界の話だからと無視する人もいよう。関わるのは怖いから見て見ぬふりをする人もいよう。少しでも役立つ術はないか考えを巡らす人もいようし、積極的に解決策を講じる人もいよう。いじめの存在を知ってしまった人は、いかなる行動をとるべきか?ジャーナリストは、悲惨な世界の現実を突きつけることで、我々に何らかの行動をとるようシビアに問いかけている。残念ながら、その問いかけをキャッチできないか、問いかけられたくない人たちが日本には多いようだ。”蛮勇”だとか”自己責任”という言葉にそれを感じる。 

シャクゲバ

シャクゲバ=尺八を吹くゲバラ。この世の中を生き抜くには、この姿が必要と思いこの名前にした。日々感じることなどつづっていく予定。

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