私の志事

で、私はいったい何をしているのだろうか?志事をしているのだろうか?高校卒業後、現役で入った大学をすんなり卒業すれば教師になっただろう。父親の件もあるしそれは仕事にしかならないと感じ、だから中退をして医学部に入り直した。詳細は最初のブログに書いているが、20歳前に実存主義文学を読み耽っていた私は、”死”というものを直視したうえで人の生きる意味を考えてみたいという志があった。それを求めて医者になったのだから志事に就けたのではないか、と言われるだろうがそうでもなかった。医者になってからもふらついていた。35歳くらいまでは研究をしてノーベル賞級の志事ができないかと考えた時期もあったが、その才能はなかった。36歳から海外をふらつき、海外支援に従事するという考えも出たが、語学能力の問題と活動的に振舞うバイタリティーはないため諦めた。40歳くらいからはそこそこの臨床医として地域医療を支える方向も考えた。中規模の地域中核病院で骨を埋めることも悪くはないと思っていたが、東北の震災・津波・原発事故が契機となりその道から離れた。50歳手前だった。それから10年ほど。福島での仕事は首になり、イラク支援のNGOの理事は辞職し、徳島の小さな診療所でほどほどのパートタイム勤務だけで60歳になってしまった。結局何物にもなることができなかったのが現状だ。

けど、こうやって少なくともいろいろ考えてはいる。Kさんと一緒に楽しく過ごしながら、ダラダラと日々の仕事を続けながら、人の生きる意味は何だろうか?と考えてはいる。それが私の志事なんだろう。それは医者になった時からぶれてはいない。けど明確な答えは得られそうになく、使事を実感できる日が来ることはなさそうだ。

シャクゲバ

シャクゲバ=尺八を吹くゲバラ。この世の中を生き抜くには、この姿が必要と思いこの名前にした。日々感じることなどつづっていく予定。

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