宙返り

尾崎はどうすればよかったのだろうか?もちろん金のための仕事を拒否し、彼の志事を貫ければよかったのだろうが、たとえそれができたとしてもいずれそれは行き詰まる。彼の志事を継続することの限界を尾崎自身気が付いていただろう。権威に対する反発・自由へのあこがれ・自分が何者か確信をもちたいという心情は若者特有のものだと書いた。ヤンチャな若者だけでなくおとなしく波風立てずにレールの上を進んでいる若者であっても、心のどこかにそういった心情が潜んでいる。それゆえ、それを的確に言葉にし力強いパフォーマンスで歌い上げる彼は、若者に支持され崇め奉られた。しかし現実は甘くはない。自由に行動し何者かになれる人間というのはわずかでしかない。野球少年の誰もが大谷翔平にはなれるわけではない。いくら努力してもダメだ。陽水のような詩を書け、玉置浩二のように歌える人は稀有だ。世の中の多くの人は何者かになろうとしてもなれないのだ。いくら周囲の勧めに抗い自分の意志で道を選んでも、才能という壁は超えられない。だから何物にもなれなかった大部分の人間は、酒浸りになりながらも朝夕のラッシュアワーにもまれて出勤し、ちっぽけな金にしがみつきぶら下がって生きるしかない。あてどない毎日の中で、まるで野良犬みたいにふらついているだけかもしれない。奪い合いの街角で夢を消しちゃいけないといわれても、生存競争の中夢はすり替えられてしまい、自分の暮らしで一番自分が傷つきながらも生きている。自分の志事を確立できた人生だけに意味があり、普通の人々の人生を否定するのは傲慢だ。人の生きる本当の意味は理解できない。

そういった大多数の普通の人々の人生を無意味だと否定し、自由を得て夢を実現した人間として華やかに生きていくことに、尾崎は満足していただろうか?彼はそんな不遜な馬鹿ではなかった。優しい人間だった。高校時代に拒否していたそういった普通の人々の営みにこそ人生の意味が潜んでいることを彼は知っていた。だから悩んだ。普通の人々が生きる意味は何か?志事をはじめながら仕事に汚れっちまい”普通”に成り下がった自分をもう一度見つめ直し、そのうえで口にできる言葉は何かをみつけ、それを支持する若者たちに投げかけなければならなかった。それは宙返りと非難されるであろう。支持する若者たちも変容した尾崎に幻滅し離れて行ってしまうかもしれない。仕事を求め群がって来た周りの大人たちにとっては受け入れ難いことで、それは許されないだろう。第一、人が生きる意味を的確な言葉で表すのは難しい。答えなど見つからないかもしれないが、探し続けなければならないものだと彼自身分かっていた。

写真は本日の大谷のホームラン。23号。終盤に覆されサヨナラ負けを喫し、”なおエ”だった。

シャクゲバ

シャクゲバ=尺八を吹くゲバラ。この世の中を生き抜くには、この姿が必要と思いこの名前にした。日々感じることなどつづっていく予定。

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