前項で組織の正義をいかがわしく感じていたと書いた。権威主義的で非民主的匂いを感じたのだが、これは昨年太宰の言葉を引用しすでに書いた(10月24日 民主主義参照)。しかし正しい正義かどうかの検証は重要ではない。 それを言いあうことこそが不毛な戦争であり、戦争状態を避け副次的被害を最小限に抑える解決策を目指すなら正義を離れてより上位の秩序を考える必要がある。すなわち第3の秩序(道徳=正義)を離れ、第4の秩序(倫理=愛)に目を向けるべきなのだ。
繰り返すが、組織は組織の正義(組織の秩序維持)を適応させようとしていた。それはそれで正論だ。しかし組織の正義を遂行できればそれでよいのか?適法でありながら非道徳な行為があふれているのと同様、正義の実現のために非人道的行為をしでかすことは数多ある。八紘一宇実現のために東南アジアに進出すべきだったか?戦争を終わらすために原爆を落とすべきだったのか?大量破壊兵器を諦めさすために空爆すべきだったか?戦争に勝つために劣化ウラン弾を使うべきだったか?etc. 正義に固執してしまえばろくなことはない。誤った正義なら尚更だ。法と同じく正義も不完全だ。過剰な正義に執着し非人道的行為に手を染めるより、正義より上位の秩序を考え解決を図るべきなのだ。昨年来の会議でそれを示唆していたとは思うのだが、残念ながら理解されなかった。当然といえば当然。組織はそんなものなんだ。スポンヴィルの言うように、組織はより下位の秩序で動いてしまう性質があるのだろう。だから戦争は続く。
先のビデオ(20年の項)のエドワード・サイードは、「戦いにおいて重要なのは倫理的優位性を保つこと」とも言っていた。つまり過剰な正義に憑りつかれることなく、より上位の愛(倫理)の姿勢をもつべきだ、ということである。私はそう解釈した。そういう世の中になればいいのにと、桜を見ながら思った。
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