道徳=正義、倫理=愛

アンドレ・コント・スポンヴィルの4つの秩序に関しては、今までも数回書いている。最初の記事は2010年の4月22日だった。私の理解を簡単に説明すると、人は行動を行うに当たって4つの秩序に制御される。まずは”本能”であるがそれのみでは社会の秩序は保たれない。故にそれを制御するために第2の秩序として””が必要である。しかし、法さえ守っていればそれでよいかというとそうではない。法は万全ではなく法の網をかいくぐってわるさをする奴らもいる。また優生保護法のように間違いを誘導する法もあり、法のみで秩序が保てるわけではない。だから法より上位に第3の秩序として常識だとか”道徳”という秩序が必要になる。しかし、それでも不十分であり、それよりさらに上位の秩序として、スポンヴィルは”倫理”を設定した。何度か言及しながら、実は第3の秩序である”道徳”と、第4の秩序の”倫理”の違いが今一つわかっていなかった。日本語で道徳と倫理はほぼ同義語だ。だから、道徳の上位の秩序である倫理とはいかなるものか実感できていなかった。時に愛とか書いてきたが、あやふやな感覚であった。昨年来の問題を考える過程で、道徳のなかに正義を含めて考えると腑に落ちた。

正義と正義の争いというものがよくみられる。戦争がその典型だろう。互いに正義を貫くことでco-lateral damage(副次的被害)を生み出してしまう。それを正義を実現するための必要悪として許容するか、あるいは正義を捨て去ってでも避けるべきものととらえるか、人それぞれであろう。昨年来の問題では、私は組織が正義を遂行するための副次的被害は最小限にすべきと考えていた。しかし組織は、正義を実現するために副次的被害も厭わないという判断だった。むしろ被害を与えることこそが目的であった。組織の言う正義(組織の秩序を乱し損害を与えたものを処罰する)は正論ではあったのだが、副次的被害(厳罰の実行)を正当化させられるだけの公正さはないと私は感じていた。いや私は問題勃発の当初から、組織の主張する正義というものがプーチンの正義と同じくらいいかがわしいものと感じていたのだ。だから反発していた。残念ながら、組織には自分たちの正義を疑ったり正義より上位の秩序を考慮する姿勢はなく硬直していた。プーチンと同じだった。

シャクゲバ

シャクゲバ=尺八を吹くゲバラ。この世の中を生き抜くには、この姿が必要と思いこの名前にした。日々感じることなどつづっていく予定。

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