流浪の民

新年早々Kさんがコロナを発症した。とりあえず住居内での隔離生活を選択しているのだがKさんを寝室にずっと閉じ込めておくわけにいかず、かつ私も人混みでうろうろするわけにもいかず、結果私が日中の数時間車を駆って流浪の民となっている。今日は河川敷で凧揚げをする家族を眺めていた。いつか姪と凧揚げをしたいものだ。

もう数日この生活を続ける予定だが、完全隔離とはならないため近々私も発症する可能性が高い。夫婦そろってパート勤務であり新年早々今月の収入は激減する。けど経済的に困窮しているわけではないから愚痴を言ってはいけない。ボーッと過ごす貴重な時間ができたと喜ぶべきことだ。

ボーッとしているついでに昨年の振り返りをしたい。昨年最後のブログで書いたように、個人的に民主的とは何か?を考えた一年だった。太宰治の言葉を基に考えるに、民主的組織であるからには「誰も組織に支配されず、誰も組織の家来にならず、組織は何人も征服しない」という根本原則を堅持せねばなならない。しかし往々にして組織は人を支配し、秩序を乱した者を征服し罰則を与え、時には組織から追放する。そのような組織権力の発動は秩序維持のための必要悪ではあろうが、民主主義の根本原則からは逸脱した行為であることを認識すべきだ。残念ながらその意識が低く罪の意識をもつことなく、組織の”正義”の鉄槌を振り下ろした”人道的”組織に関与してしまった。痛恨の極みであった。

思えば20年ほど前大学医局から距離をおいた時も、そして13年位前に県職から身を引いた時も同じような事があった。組織の論理の愚かさ・彼らの遂行する正義のうさん臭さを目の当たりにし、その仲間であることを拒否した。今回も3月には組織を離れるだろう。それが私の生き方。正解かどうかはわからない。正義を成したとは思っていない。私の趣味に合わないだけだ。組織からは嫌われるのは間違いないが、理解してくれる人はいるだろう。それでよい。

シャクゲバ

シャクゲバ=尺八を吹くゲバラ。この世の中を生き抜くには、この姿が必要と思いこの名前にした。日々感じることなどつづっていく予定。

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