私の今までの生き方を振り返るに、非合理的権威に対して自律的に不服従を選択することがしばしばあった。父親に対してがその始まりだったろうし、13年ほど前に県職を辞した件、そして昨年のNGOの問題に対する私の態度もそうだろう。何でもかんでも不服従を選択しているわけではない。少なくとも非合理的権威に他律的服従はしないことを心掛けている。しかし世の中は非合理的権威に満ち溢れている。関りをもたないためには仙人にでもなって山に籠らなければならないがその勇気はないし、それでは社会的責任は果たせない。よって社会不適合者の烙印を押されない程度に、非合理的権威であっても面従腹背でおとなしく要領よく生きている。そして合理的権威と思われる組織あるいは思想のうち、自分の理性で判断し自律的に服従すべきものはなんだろうかと常に探しているのだが、未だ見つかってはいない。13年前の一番初めのブログ、2009/11/07の記事に同じようなことを書いている。同じ状態のままだ。
非合理的権威だとか合理的権威、自律的服従(不服従)・他律的服従という言葉は、写真のエーリッヒ・フロムの言葉だ(岸見一郎訳)。彼の言葉はアイヒマン問題を述べるときに何度か引用させてもらった。経済状況や大国の緊張状態が大戦前の状況に似てきている今の世の中。彼の言葉を再確認しなければ。アイヒマン的後裔に満ち溢れるならば、この世界は終わるだろう。合理的権力に自律的服従を。
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