似非民主主義

似非民主主義。残念ながらそう感じてしまった。形式的には法を尊重し決定はした。しかし主従関係の主(あるじ)ばかりの論理で決定し、偏向調査の可能性に危うさを感じることはなく主(あるじ)の正義の執行に慎重になる姿勢はなかった。”家来”の人生に心を寄せ人権を慮ることよりも、組織秩序の維持が重視された。信頼関係が崩壊した相手をフォローするために、組織側の立場を離れて私が話に行く必要はないか?と提案したが、組織側の説明で充分で既に雇用関係は解約されているのでその必要はないとのことだった。個人的に会いに行くことは否定されなかった。しかし組織が相手を征服し処罰し排除したことは当然の帰結で信頼関係が失われても問題はなく、「組織が排除した後どうなろうが組織は知ったことではない。会って話したかったらどうぞご自由に」と、人との関係をぶち切った罪悪感は皆無に見受けられた。「家来だから気にすることはない。家来が粗相をしでかしたのだから組織として当然の処置。人と人の繋がりが損なわれようと心悩ます必要はない。」といったものだ。最後まで組織と家来の関係で考え、人と人の関係では考える人がいなかった。というのが私の見方。だから似非民主主義と批判する。残念。

しかし、法の秩序のみで考えれば誤った態度ではない。そこに愛の秩序はなかった。それだけのことだ。「そこにアイはあるんか?」とCMの言葉がよぎったが、失笑を買うばかりだろうから口にはしなかった。ま、私が会いに行くこと自体は否定しなかったのだから慈悲深い人道的組織だとありがたがらなければ。

20年くらい昔に読んだ本を思い出した。といっても高尚過ぎてよく理解できずに売り払ってしまったと思う。民主主義に似て非なる悪の民主主義というものがあるんだな、という印象はもった記憶がある。今なら理解できるかも。読み直してみようかな。

シャクゲバ

シャクゲバ=尺八を吹くゲバラ。この世の中を生き抜くには、この姿が必要と思いこの名前にした。日々感じることなどつづっていく予定。

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