もう一度引用させてもらう。「人間は人間を征服出来ない、つまり、家来にすることが出来ない」それが民主主義の発祥の思想だと太宰はいった。この民主主義の根本思想に反するものが軍隊だ。今まさにロシアやウクライナで起きているように、有事の際に国は大義のために命を差し出せと国民に命令する。ロシアやウクライナが民主主義国家とは思えないが、民主的に運用される組織であれば、その組織は人を征服することできるのだろうか?多くの人が、人は国の家来になる”義務”があり、組織を運用するものは人を駒として扱う”権利”を有すると思っているだろう。それが常識的な考えであり、だからこそ平和憲法をもちながらも自衛隊という軍隊を維持し、敵基地攻撃能力をもつべきという議論も当たり前のようにとりあげられるのだろう。
民主主義かどうかはおいといて、”法”で人を征服できるのだろうか?秩序を守るためには法の統治は必要だ。犯した罪により人権が制約されることは必要悪として受け入れる。しかしアナーキストである私は、人と人の集合体である組織は原則的には人を征服できない、征服できると思ってはいけないと考える。組織がその秩序を維持するために”法”に頼るのは認めるが、その法の執行において組織の一人一人が太宰の根本思想を忘れ、組織が家来として人を扱うことを当然だと受容してしまえば、その組織はもはや民主的組織とは言えない。むしろ将軍様に率いられる軍事国家と同じようなものだ。民主的手法により全員一致の決定がなされたとしても、民主主義の本質を忘れてしまった人間ばかりで法の執行がされるなら、それは組織に主権を売り渡した組織ファーストとも呼ぶべき似非民主主義である。
組織の維持を”法”のみに頼るのは、私からするとそれは低レベルの組織である。組織が人を征服できる根拠、あるいは人がすすんで組織の家来となり得る根拠は”法”より高次の概念である。
さらに書き進めようとも思っていたが、過去のブログでも何度か書いていることだ。止める。何を言いたいか?ヒントは「4つの秩序」です。
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