福島での仕事を終え、昨日徳島に帰って来た。Kさんと一緒に帰って来た。最近、羽田空港のまた来い家という立ち食い寿司でたらふく食べて帰るのがルーチンになっている。
さて、娘さんの意志の無さとディスって申し訳ない。相談のメインテーマが患者さんの想いをどう汲むかではなく、どう判断してよいのか迷っている娘さんの悩み相談であるとわかった時、初っ端からイラついていた私は一気に不機嫌になった。”なんやそれ?”と口の悪い私は心の中でつぶやいていた。娘さんは前日のBiPAP導入時、導入後の母親の状態を間近で見ていた。判断材料となる現状をつぶさに見ていたのだ。そこで何を感じてどう判断すべきかは娘さん自身で考え、その娘さんの考えを聞かせてもらって患者さんのケアをどうするかを話し合うのが筋だ。しかし、その前段階の娘さんの迷いの相談となると一段階余分に時間がかかる。自分の段取りが乱され先約を待たせていた私は、”患者の悩みはともかく、その家族の迷いまで医者に持ち込むんじゃねぇ”という不機嫌で冷徹な態度になった。しかし、そんなに突き放さなくてもよいのでは?と自己批判もしている。
96歳の患者さんはしっかりされている方だ。老いては子に従えというが、おそらくこの患者さんは体が弱ってきても母親としての威厳を保ち続けていたのだろう。ちょっと強すぎたと想像される。娘さんは母親の考えに従うのみにコントロールされ、母親に意見するようなことは今までなかったと思われた。母親のことはすべて母親の判断に任せていたため、娘さんはどうしたらいいのかわからなくなり、オロオロするばかりの感じであった。そんな娘さんをみて思い出したのは、父親に潰されセルフネグレクトの末に亡くなった兄のことだった。このブログを始めたころに書いた。この娘さんと傾向は違うが、強い親の呪縛から逃れられず自身を確立できないままに亡くなった兄を思い出した。決断を先送りするばかりで行動しようとせず、あれやこれやと迷うことだけに時間を費やす兄と対峙していた時のイライラがフラッシュバックし、ひどい態度をとった。医療上の失敗というより、人間として不徳の致すところの失敗だ。
7月28日は兄の誕生日だった。生きてれば64歳。
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