相談内容は、先に書いたように患者がBiPAPに苦痛を感じ、「どうしてそんな処置をしたのか?」と娘さんを責め、娘さんが悩んでいるということだった。患者さんは96才であるが認知機能はほぼ正常でしっかりしており、延命措置や抑制されるのは嫌で尊厳を保ってほしいと、常から娘さんに話していたと思われる。圧迫感を感じたBiPAPは、患者にとって望んでいない延命措置ととられたようだ。BiPAPを導入したのは、その患者が「苦しい、何とかして」とパニックになったことだった。私は、BiPAPは呼吸苦を和らげる緩和処置として開始した。酸素吸入の延長であり延命目的の導入ではなかった。実際、BiPAPをしたことで呼吸苦は速やかに失くなり患者は眠れていた。だからBiPAPという緩和処置は成功したと感じたのだが、患者の理解では苦痛を伴う延命処置でしかなかったわけだ。
尊厳死を望む患者さんは多いだろう。しかし、具体的な医療行為一つ一つをどれが緩和処置でどれが延命処置か、明確に線引きすることは不可能だ。患者さんや家族が緩和処置と考えているものが実は延命処置でしかなかったり、延命処置だと強く拒否されるものであっても緩和処置の一環として必要な処置もある。実際には患者や家族の意向を確認しながら行っているのが現実である。今回は患者本人と私の認識のずれがあったわけだ。認識の差が確認できたわけだから、患者さんの望む形に変えればよいだけだ。さほど問題となるものではなかった。けど最初からイラついていた私は「そんなにいろいろされるのが嫌なら、入院せずに連れて帰って、家族で看取りをすればいいのでは?」と、突き放したことを言った。もっとどぎつい言葉を使った気もする。
繰り返すがこれはさほど怒るような問題ではなかった。患者は医療従事者ではないのだから、医者と認識が違うというのは当然であり日常茶飯事のことである。私が気に入らなかったのは患者さんの認識ではなく、娘さんの意志の無さであった。
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