やる気のなさそうな私のやる気

徳島と福島では高齢者の地域医療に携わり、イラクの海外支援にも関わっている。医者として31年間働き、イラク支援は17年ほど関わっている。福島は10年だ。内容は上出来だとは言えない。私の活動など屁のツッパリほどにしかなり得ず、私の存在など無きに等しいと思っている。無力で無意味と考えてしまうとやる気は失せてしまう。実際、「なんだかなぁ」と感じ文句を言いながらもウダウダ続けているのが実態だ。完全にやる気がなくなってしまえば仕事も生きるのもやめてしまう可能性があるのだが、それを選択していないということは、それなりにやる気は残っているのだろう。

自分にどんなやる気が残っているのか?別にお金儲けをしたいとか名を成したい、人に喜ばれたいといった欲はない。お金はそこそこでよい。名を成せば人付き合いが増え鬱陶しく感じることも増えるだろうから、それは避けたい。承認欲求などなく、他人に感謝されようが疎まれようがどうでもよい。無力で無意味な私であるが、それでも何らかの存在意義を感じたいのだろう。その欲求は強く、その一つの回答が継続することであり、それがやる気のなさそうな私のやる気の源になっているんだろう。

写真は2週間ほど前Kさんと観に行った芝桜。

シャクゲバ

シャクゲバ=尺八を吹くゲバラ。この世の中を生き抜くには、この姿が必要と思いこの名前にした。日々感じることなどつづっていく予定。

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