1年と4か月ぶり

本日より新地での仕事。私が福島で仕事を始めたのは2012年の7月から。2011年は地元県立病院の常勤であったため福島支援は短期間の緊急支援のみで、震災の翌年に常勤を辞した後、月1週間の滞在で浜通りでの診療を開始した。通常の診療であり、私が来なければならないほどの理由はない。勤務している病院は高齢者が多いため総合内科医の力が必要なのであるが、なかなか常勤で頑張ろうという医者がいないのだ。昨年1年間コロナ禍で私が勤務に来れなかった間に常勤医が増えはしたが、バリバリ働いて内科を支えるというところまではいかず、1年と4か月ぶりに働かせていただくことになった。今年で10年目になる。

私でなくとも地元で働いてくれる医者がいればいいだけの話で、病院からすれば人件費が嵩むばかりなのかもしれない。役に立っているのかどうかわからない。けど1年余りのブランクの後、再びこちらから勤務をお願いした。海外での支援で痛感したのだが、我々の活動など無力だ。何かを変えられるわけではない。私などいてもいなくても大勢に影響はない。そう感じているにもかかわらず私の方からお願いした理由は、私の存在に唯一意味があるとするなら、関わり続けることだろうなと思っているからだ。普通に診療するだけのことだが、短期間で派手な活動をして、既に忘れかけてしまうよりも意味があるように私は思っている。

写真は本日の新地での夜明け前。盛土をしたうえで再開発された新地駅周辺は、先月の地震で液状化でも生じたのだろう。舗装やタイルが所々波打っており、ホテルと周囲の舗道の間に15cm程度の段差があちこちに残っていた。


シャクゲバ

シャクゲバ=尺八を吹くゲバラ。この世の中を生き抜くには、この姿が必要と思いこの名前にした。日々感じることなどつづっていく予定。

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