先日の党首討論での首相の言葉。志位委員長が、命をリスクにさらしてまでオリンピックを開催しなければならない理由を繰り返し問うた後、切れ気味に述べた。「国民の命と安全を守るのは私の責務ですから、そうでなければできないということを私は申し上げているんじゃないですか。守るのが私の責任であります。守れなくなったらやらないのは、これ当然だと思いますよ。」目的語が省略されておりちょっと曖昧だが、質問内容から考えると”できない” ”やらない”の目的語はオリンピックであろう。オリンピックの代わりに総理大臣や国会議員をいれても成り立つのだが、質問からの流れをみると”国民の命と安全を守ることができないのであれば、オリンピックはできない”、”国民の命と安全が守れないなら、オリンピックはやりません”という意味だろう。オリンピックの開催意義については、どうせ陳腐な答弁しか出てこないだろうから聞くだけ時間の無駄。突っ込むならこの発言だと私は思う。どういった場合五輪をできないと判断するのか?その判断を誰がするのか?そして主催者ではない日本政府がどうやって五輪を中止させるのか?そこらへんをお伺いしたいのだが、仮定の話には答えられないといういつもの答弁が帰ってくるだけか。
G7では各国首脳から五輪開催の賛同を得てよかったね、菅ちゃん。けど、外交辞令でしかない。「五輪をやめたい」といってもサポートしてくれたと思う。五輪開催に関してはノーコメントのメルケル首相も、中止となれば力強くサポートしてくれただろう。五輪後に日本でコロナがどうなろうが、各国にとっては所詮対岸の火事だ。「コロナが落ち着き始めてるから何か楽しいことがあればいいな、ま頑張って」、という程度の賛同だ。各国の後押しを受けたと信じて菅ちゃんは頑張る。緊急事態宣言をどこで終了さすか、終了後感染状況がどうなるか、インド株が蔓延して増加しないか、海外から免疫回避を獲得した変異株が入ってこないか、などなど心配なことだらけ。失敗すれば犠牲者が増える。五輪をやめればそういったリスク上昇はなくなるのだが、それでも菅ちゃんは頑張る。何のために?別の地平の私にはわからない。
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