別の地平、政治家の役目

新型コロナ対策分科会の尾身茂会長が「何のために五輪を開催するのか明らかになっていない」と指摘した件について丸川大臣は「我々はスポーツの持つ力を信じてやってきた。別の地平から見てきた言葉をそのまま言っても、なかなか通じづらいというのが私の実感です」と述べた。尾美会長と丸川大臣では、別の地平からみてきたというのは当然であろう。医者は感染症を克服するのを第一に考えれば当然五輪開催は拒否する。しかしアスリートは集大成として五輪に参加し名誉とお金を得たいだろうし、スポンサーやIOCの貴族等も自身の儲けのためには開催して欲しいだろう。それぞれが別々の地平から眺めて、どうすべきか悩んでいる。

金、命、名誉を軸に、五輪を考える典型的な三者をレーダー図に描いた。もちろん、金儲け主義と揶揄されているIOCメンバーにだって命を重視すべきと悩んでいる人はいるだろう。自身の栄誉やお金ではなく人々の命を大事にしてほしいと願っているアスリートはいるし、五輪を契機にスポーツドクターとして売り込みたい医者だっている。では、政治家はどうなのだろう。丸川大臣は”スポーツの力”と表現したが、菅首相も同じようなものなのだろう。前回のオリンピックでのアベベやヘーシンクに感動したと言っていた。それを国民に見せてあげたいと言っていた。一つの動機としてあってしかるべきもので、賛同する国民やアスリートも一定数はいることだろう。レーダー図で表現するならば、下図に”スポーツの力”といった軸を加え、それに満点の10点を与え、命8点、名誉5点、お金はたぶん政治家ならば0点となるのだろう。

しかし、政治家がどういうパターンになるかは重要ではない。政権与党の政治家の役目は、いろいろなパターンで描かれるいろんな地平から考えている人たちの意向を理解することだろう。強行しようが中止であろうが、どの地平からの視点を重視したのか。なぜ、ある人にとっては重要な軸を低く見積もったのか。その理由を論理的に明確にし、迷っている国民に確固とした方向性を示すことが内閣の役目だ。命に関する発言を別の地平からだから通じないとか、自主研究だからと無視したり、俺は主催者じゃないと責任逃れしようとしてはダメだ。命よりも重要視すべき軸が何なのか、コロナ感染のリスクを高めても尊重しなければならない理由は何なのか、納得できる言葉が欲しいのであるが、皆々思考が軽い。情緒的であったりかっこいいような言葉を口にするが、どれもお寒い限り。幼稚だ。人前で言葉を述べる人って、こんなに軽薄だったか?

シャクゲバ

シャクゲバ=尺八を吹くゲバラ。この世の中を生き抜くには、この姿が必要と思いこの名前にした。日々感じることなどつづっていく予定。

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