科学者の生きる意味

変異ウイルスの猛威により、徳島でも今までで最多の新規コロナウイルス感染数となっている。先月からの動向見れば予想通りの結果である。政府のコロナ対策や先日徳島で行われた聖火リレーなど、いろいろいいたいこともあるがとりあえず講演の続き。

私が勝手に定義付けた社会的不条理(≒差別)を解決するためには、バリアを無くす必要があり、国においては政府が壁を崩していくことが重要というのが前2項の話である。では、哲学的意味での不条理を克服するにはいかなる態度が必要かである。これは社会的不条理よりも根源的な大命題である。そのような大命題を考えるとき、まずは特殊な条件を設定し、そこで何が真であるかを考えることが手掛かりになる。そこで私は、自分の活動領域の自然科学者というものを考えてみた。

科学者の生きる意味は、紛いのない真実を積み上げていくことである。コツコツと真実を積み上げていくことでより高次の真実(赤のブロック)にたどり着くことができる。大事なのは、そのトップに立った真実のみが価値があるわけではない。A、Bといった小さな山の頂上はもちろん、二つの山を関連付け礎となるCや高次の真実を導く一つ一つの真実に価値がある。科学者は自分の業績がたとえ社会的評価が得られなくとも、未来においてより高次の真実につながるであろう絶対的真実を発見できれば、人類の叡智の一角にブロックを積み上げた自身の存在意義を見出せる。

そんな科学者がやってはいけないことは、まがい物の真実を積み上げることである。iPS細胞の研究の過程で、改竄された実験データを基にSTAP細胞なるものを発表した方がいた。本人にさほどの悪意はなかったのだろうが、これは科学に対する冒涜であった。偽りのブロックが一つ積み上がってしまうと、その上に新たなブロックを積み上げられず高次の真実にたどり着く道を失ってしまう。自分の罪だけではとどまらない、自然科学・人類の叡智に対する罪である。

科学的データというものは絶対的に正しいと思われがちであるが、実はそうでない。見せ方を工夫すれば、自身に都合の悪いデータを隠してさほどでもない実績を粉飾してみせることができる。昨日、徳島県の医療政策課はコロナ感染患者のホテル療養者数をごまかしていたとたたかれた。実際には自宅待機でとどめられている患者数を、すでに収容し療養している患者として発表していたのだ。よくあることだ。批判されかねないまずいデータは行政は隠そうとする。まずいデータであるなら、それをしっかり認識し正しい対処をすべきであるのだが、見て見ぬふりをする。できればばれずにそのまま経過し問題を先送りしようとする。けっして積極的な隠蔽や改竄ではないのだろうが、誠実さには欠ける。2010年1月26日の私のブログですでに指摘していたことだ。体質は変わっていない。


シャクゲバ

シャクゲバ

シャクゲバ=尺八を吹くゲバラ。この世の中を生き抜くには、この姿が必要と思いこの名前にした。日々感じることなどつづっていく予定。

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