私が2003年にイラクに入ったのは、イラクの小児がん患者の現況を調査するためだった。パレスチナで働いていた2000年ごろから既に、ネットではイラクで”奇病”が増えているというニュースは報告されていた。その原因の一つとして、1991年に米軍が使用した劣化ウラン兵器が挙げられていたが、フセイン政権によるプロパガンダの可能性もあり真偽は定かでなかった。我々は、バグダッドやバスラの小児がん専門病棟を回り医者にインタビューし、病院前で小児がん患者らしい家族に声をかけて家に連れて行ってもらい、当時のイラクでの小児がん患者がおかれている状況を視察した。
イラクで小児がん患者は増えているのか?劣化ウランはその発症に関与しているのか?そのような大命題ついて、一人の医者が1週間程度見て回っただけでわかるはずはない。大規模な疫学調査や高度な医学的アプローチをできるほどの能力は私にはない。真相は闇の中である。たとえ科学的検証がなされたとしても、イデオロギーやら大国の意図により歪められている可能性があり、その真偽を見極めるのは難しい。確かなのは、イラクという暴力が渦巻く国の中に小児がんの患者がいて、治安の悪さや経済的問題から病院へアクセスできなかったり、政府の機能不全のために薬剤が手に入らなかったりすることだ。日本では治癒可能な疾患である急性リンパ性白血病の子供であっても、イラクでは未だ不治の病であり治療早々と放棄し亡くなる子供たちも多かった。たまたま生れ落ちたのが紛争下のイラクであり、戦争でばらまかれた劣化ウランのためにがん発症のリスクが高まり、がんになっても十分な治療が受け入れない不条理があった。
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