フセインが大量破壊兵器をもっているとアメリカがイチャモンをつけ、2003年3月にイラク戦争がはじまった。私がイラクへ初めて入ったのは米軍がバグダッドを落とした約1か月後の2003年の6月だった。アンマンから陸路バグダッドと南部バスラに入った。フセイン残党による最後の抵抗や現地でアリババと呼ばれる強盗はあったりしたが、あとから思えばフセイン政権崩壊後一番安全で希望に満ちた時だったかもしれない。イラクの街はフセインの圧政から解放され、これから新しい国を作るんだという喜びにあふれていたように感じた。写真はバグダッド近郊の小学校。アポなしで学校を訪問し授業を見せてもらった。子供たちはこれからの未来がどうなるか、不安もあっただろうがいろいろ夢見ていたに違いない。
しかし、この後は宗派や政治的対立が激化し、その後シリア内戦・イスラム国の台頭などによりイラクは安全でなくなった。写真の子供たちも通学は危険だったろう。テロに巻き込まれたかもしれない。死体が散乱した悲惨な現場をみたかもしれない。イラクという紛争地に生まれ落ちただけで、彼らは辛い環境で生き抜かなければならない。
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