GoToトラベル中止を発表した後、8人で会食。それを受けて、言葉の軽さしか感じられないコロナ担当西村大臣や官房長官はあやふやな言い訳に終始。海外ではワクチン接種も始まっている。短期では重大事象は生じていないようだが、長期的副作用はわかっていない。コロナウイルスが感染の窓口としているのはACE2受容体のようで、これは広く体内に分布している。ワクチン接種で重大な自己免疫疾患が惹起される可能性はゼロではない。男性の生殖器官にも分布しているようで、ワクチンを施行した国で十年後くらいに劇的な出生率低下が生じることもあり得る。そうなれば人類は激減するだろう。
さて、スライド1の吹き出しは下記のようなものだ。これについて。
小学2年の秋から中学卒業するまでの7年あまり、喘息のために親元を離れて小児病院に入院していた。一般的にみればつらい経験ととられるだろうが、私の核がこの時代で形成され、私が私であるためにはなくてはならなかった時代だった。この時代、小学の高学年時には人は独りであること、この世界は不条理に満ちていることを理解した。
喘息児童は孤独を知る。私が子供時代の喘息治療は数種類の気管支拡張剤はあったのだが、使いすぎると頻脈発作を起こすためできるだけ我慢するようにといわれていた。最低4時間、できれば6時間はあけるように指導されていた。しかし重責発作が一度生じると、気管支拡張剤を吸入しても1-2時間後には苦しくなる。そんな時ずっと我慢をする。夜など周りの子供たちが寝ている中、ただじっと独り息をすることに集中する。いくら苦しいと泣いて騒いでも、時間がくるまで医者や看護師さんたちはどうすることもできない。パニックになれば余計に苦しくなるだけ。だから少しでも苦しみを忘れようと、ひたすら息を吸い吐き出すことに集中する。苦痛を苦痛と感じない無の境地に達するための一種の瞑想である。その瞑想を物心ついたときから繰り返し繰り返し行う過程で、苦痛は極めて個人的な感覚であり、それを克己するのは自分しかいない、と考えるに至った。
また、養護学校には種々の障碍者たちがいた。前日の項で述べたように、まだ養護教育というものが確立されていない時代であり、小学の低学年時には重度の自閉症児や知的障碍の児童たちと机を並べて学んでいた。時間とともに私はそれなりに体も心も知識も成長していくのだが、重度の自閉症児や知的障害児の時間は止まったままかのようだった。小学低学年から高学年に我々が成長するとともに、彼らは隣の机から隣の教室に移され違う病棟に移動し、喘息や腎臓病など学習能力に問題のない児童の世界からは隔離されていった。この差はいったい何だろうか?私が特段善行や研鑚を積んだわけではない。もちろん障碍児が悪いわけでもその親が悪いわけでもない。生れ落ちた時に、ちょっとした運命のいたずらで脳の回線の接続具合が悪かっただけだ。私は流れに身を任せて生きてきただけで先生と呼ばれる職業に就き、社会のヒエラルキーの上の方でのほほんと生きている。障碍児たちはいくら学ぼうと社会に適応できる術は獲得できず、公的庇護がなければ生きていけないまま。今も彼らの多くはどこかの施設で社会からは隔絶した環境の中で過ごしているのだろう。運命のいたずらに違いないが、それにしてもひどくはないか?この世は不条理に満ちていると思った。
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