スライド1;我が人生

まだこのスライドを出すかどうか決めているわけではない。こんなものをお見せして、"My Way"など謳うわけではない。そんなに承認欲求の強いオヤジではない。

講演のテーマは”Fight for Future"にしようと思っている。大袈裟で押しつけがましいテーマであり、そんな大きな話をするのにふさわしい人間なのかどうか、聞きにいらした方に吟味してもらうのが目的の一つ。もう一つは、何故”Fight for Future"と考えるに至ったか、私の背景から話しておいた方が理解は深まるかなと考えたわけだ。赤字で示した部分の体験を話すのが講演のメインパートなのだが、このスライドに吹き出しをつけて少しばかり話すつもりで、次項でそれについて述べる。私の年表に加え、世界の出来事を少しばかり書き出している。もちろんこれだけではなく、ルワンダ虐殺やソビエト崩壊・ユーゴ分裂・オスロ合意など大事件もある。スペースの関係でそれらは省いた。この中でサイゴン陥落について少しばかり。

サイゴン陥落は、私が外国での戦争というものを始めて認識した出来事だった。これはTVや新聞で知ったのではなく養護学校中学部1年の春、確か午後の授業中に全校放送で流れた緊迫したラジオの実況中継で知った。それゆえ鮮明に記憶に残った。なぜ授業中に?しかも養護学校である。誰がそれを流したのか今となっては知る由もないのだが、当時の養護学校というものを考えると面白い。

今では特別支援学校と確立したものがあるが、県立養護学校となったのは私が小学6年の時であり、小学低学年の時は市中の学校の分校であった。つまり、発足当時はいわゆる特殊学級とよばれていたものの延長であり、通常の教育の場では学習が困難な知的障害や自閉症、喘息や心疾患・腎臓病・先天性の骨・筋疾患などの慢性疾患の児童をとりあえず集めたものだった。そしてそれは児童ばかりでなく、そこで働いていた先生方にもいえることだったようだ。もちろん、素晴らしい先生もいたのだが、一割程度は通常の学校からつまはじきにされたような先生がいた。今問題になっている性的虐待をする先生(実際私はその毒牙にかかりかけた)がいたり、園芸ばかりしている先生や学校には来るものの車に終日閉じ籠り仕事をしない先生もいた。つまり児童ばかりでなく、発足当時の養護学校は通常の学校では問題となるような教師たちの受け皿にもなっていたと思われる。おそらく、サイゴン陥落のラジオ中継を全校放送で流した先生は左翼思想が強く、校内で政治活動などをしていたために養護学校に移動させられた先生であったのだろうと推測する。一般的にはとんでもない教師だと思われるだろうが、そのような先生がいたから私は中学1年の時に、世界の現実の一端をしっかりと認識したのだ。

シャクゲバ

シャクゲバ=尺八を吹くゲバラ。この世の中を生き抜くには、この姿が必要と思いこの名前にした。日々感じることなどつづっていく予定。

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