何らかの権威に盲目的に従うのを止めよ、というのが私の自由万歳の精神であると述べた。言い換えると「権威を疑い、従うべきに足るものかどうか自身で考え判断し行動するように」ということである。同じようなことをカントは言っている。彼は実践理性批判において「汝の意志の格律がつねに普遍的立法の原理として妥当しえるように行為せよ」と言った。つまり、何らかの権威に盲目的に従うのではなく、自身の意志のもとに普遍的原理を基準として行動せよということだ。
人は成長とともに行動基準が次々と変化していく。行動基準の変遷=成長と言っていいだろう。生まれて物心がつくまでは、苦痛を避け快楽を求める本能そのものが行動基準である。それが次第に家族と快適に過ごすために自己の本能を抑制することを知る。つまり両親が言ったことがルールであり、親兄弟に褒められることが行動基準となる。そして幼稚園や学校の集団生活が始まると、他人の集まりで成り立つ社会を維持するための様々なルールを学び、それを乱さない行動が求められることを理解する。校則に従い先生の指し示す道が正しい道だと教えられ、その道に従おうと勉学・部活に励む。さらに成長すると、地域社会の常識や法律、種々のシステムが求めてくるルールを学ぶ。成長過程によって自身の行動を律する”権威”は異なる。自身の自由意思を縛り付ける様々な”権威”のうち、何に従い従うべきか?普遍的原理に限りなく近いと評価できる行動規範は何かを吟味し続けることが人間としての成長する目的といってよいだろう。
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