収益をあげなければ成り立たない民間であれば、地域の事情を無視して収益確保に走ったとしても非難することはできない。しかし本来セィフティーネットとして機能すべき公的病院までもが地域の状況を無視して収益確保に走ってしまえば、どうなるか? 既に最初のブログで書いている。(archive1、2010Jan23-、1/29記事参照)
もう10年ほど前の話だ。民間の老健施設やかかりつけ医が貧弱な県南医療圏の県立病院だった。私が調べたH19年のデーターで、のべ退院患者1600名余りのうち30名ほどが県南を離れて都市部の老健施設に転院していた。もちろんそのうちのいくらかは、子供たちが都市部にいるため移った人もいるだろう。しかし私の経験では、地元の家族には介護力がなく施設には空きがない。病院で診るとベッドが塞がり他の急性期患者が入院できなくなる。たとえベッドに余裕があっても入院期間が長くなると収益率は低下する。ゆえに入院が長期になる前に介護施設の充実した都市部に転院してもらう患者が多かった。県南から転院した施設まで本数の少ないJRを使って2時間くらい。往復に1日がかりでタクシーやバスも使わねばならず1万円くらいは必要だ。高齢者にはきつく月に1-2回程度会いにいければよい方だろう。私は徳島市内のいくつかの病院でバイトも経験していたから、そのような患者を何人か看取った。家庭をもち、連れ合いや子供に囲まれて幸せな時もあったろうに。誰も臨終に立ち会うことなく、ひっそりと独りボッチで亡くなっていた。看取りの仕事としては楽ではあるのだが、「捨てられっちまった」と怨まれても仕方のない、寂しく何ともやりきりない臨終だった。
そういう状況があるにもかかわらず、当時の県の医療政策の中心課題は県立病院の収支改善だった。三顧の礼で県に迎えられた当時の病院事業管理者は県民医療最後の砦などと宣い、収益率アップのための経営改善会議で職員を吊るし上げハッパをかけていた。回転率を上げ、患者一人当たりの単価を上げることに躍起だった。が、それを達成するための姥捨て行為の現状に目を向けることはなかった。ゆえに私は辞めた。
先月から、7年ぶりにその病院で月二回ほど当直と外来をしている。写真は県南の月ケ谷 温泉。昨日Kさんと楽しんできた。
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