専門を離れての診療ができない医者側の本質的問題について。
長らく専門医療の中で働いていると、専門外の疾患には疎くなる。基本的な知識はあったとしてもそれがアップデートされた知識かどうかは自信がない。一方で無痛文明に馴れた患者は、「もっといい治療法があるはずだ」と思ったり、治療がうまくいかなかった場合に苦痛を受け入れることができずに「病院側が過ちを犯したに違いない」と思いがちだ。そのような不満は全身に限界のきている超高齢の患者や、それを献身的に世話をする家族にも見受けられる。一昔前より患者の権利保護と医者の説明責任が重要視され、訴訟リスクは高まっている。よって専門分野以外の不得手な領域には手を出さないほうが賢明だ。はじめから責任回避しておけばそのリスクは回避できる。自分の責任は専門分野のみであり、専門外の疾患は「○○先生に診てもらってね」とパスをする。責任逃れの高齢者に冷たい診療だ。 無責任とも非難されようが、高度専門医療を提供する病院であれば許されると私は思っている。残酷な言い方だが、「死に向かう老い」の全人的医療を高度機能病院の各専門医に求めても無理な話だ。それは違った場で提供されるべきものだ。問題は、本来なら全人的医療を提供すべき医療機関さえもが責任を回避する傾向にあることだ。次項でそれについて述べる。
一般的に、責任回避の風潮は無痛文明の昨今、医者だけでなくあらゆる職業で共通したことだろう。できるだけうまく責任を回避したほうが楽である。誰もが無痛文明に浸っていたいのだ。私自身も反省すべき点が多々ある。 わかっちゃいるけどやめられない。
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