サクリファイス

最初のブログでこの映画は取り上げた。自己中な〇〇ファーストが横行する扇動民主主義に対抗できるものは何か?と考えているとき再び思い至った。私が覚えているあらすじはこうだ。細かいところは間違っているかもしれないが大筋は誤っていないと思う。

木を植え育てる男とその子供がいる田舎の村。ラヂオが、核戦争が迫っていることを報じる。知識人たちは不毛な議論をして虚無的になっている中、木を植える男は「自宅に火をつければ核戦争は回避できる」という啓示を受ける。男はその啓示を信じ自宅に火をつける。めでたく核戦争は生じなかったのだが、男は放火犯として精神病院に収容される。その後、木を植える男の子供が木に水をやる場面で映画は終わる。

核戦争が生じなかったのは、男が自宅に火をつけたおかげだなどと誰も思わない。そんな因果関係は誰も証明できない。けど男は火をつけた。自宅を失ったうえに、狂人として捕まってしまうことも男は理解していたかもしれない。にも関わらず男は実行した。そこに自己中の自分ファーストの思想はない。人類のための自己犠牲の思いがあったのみだ。

政治は未来を扱う。未来は不確実だ。誰も責任はとれない。だから適当でいいということではない。自己中心ではなく人類のために、自宅を失い狂人として処理されようとも、何かを強く信じて行動するのは尊いことだと思う。論理的で合理的な自己中心的主張より、情動的で多少の非合理的があったとしても利他的思想を私は大事にしたい。もっとも、カルトになってしまっちゃぁだめだ。扇動が流行ってしまうとその線引きも危うくなる。要注意。

シャクゲバ

シャクゲバ=尺八を吹くゲバラ。この世の中を生き抜くには、この姿が必要と思いこの名前にした。日々感じることなどつづっていく予定。

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