戦メリ

邪悪で愚かな大義に乗っかって道を踏み外さないために、扇動に対しては無欲で寛容な心をもって自分でよく考えることが大事と述べた。また、大義に従わず適当に生きてるものを邪険に扱い排除するのではなく、貴重な存在として認めるのが良いとも書いた。そこで戦場のメリークリスマスを思い出した。ずっと前のブログでで書いたと思うが、ここにもう一度書く。

デビッドボウイ演じるイギリス軍人は、かつて戦士とはいかなるものであるかをまじめに考えそれを体現しようとしていた。そんな彼はボーイソプラノの女々しい弟の存在を認めがたく冷たく接していたことが心にひっかかっていた。彼はその振る舞いを悔い、罪を感じていた。そして日本軍の捕虜となったとき、八紘一宇の大義の下で武士道に邁進する坂本龍一演じるヨノイに、かつての自分を見出していた。同性愛行為をしでかしたジョニー大倉をヒステリックに自らの手で斬首したヨノイは、かつての自分と同じく不寛容に陥った愚かな人間だった。大義に縛られ正気を失ったヨノイに、もっと気楽に適当にやって人間性を取り戻してくれ、という願いをもってヨノイにキスをした。それは弟を邪険に扱ってしまったかつての自分に言いきかせる行為でもあった。というのが私の解釈だ。

大義や目標にはまじめに取り組まず、排除されない程度に適当に従うのがよい。大義を持つとしても、それは人に押し付けるのではなくあくまで個人的な行動規範として自分のみに課すのであればよい。大義と無関係な人にイラつくことはしなくて済む。しかし組織の運営側にいる人間はそうもいかない。組織の設定した目標を達成せねばならない。それに反発したり協力しない不真面目なやつらはうっとうしい。邪険に扱って当然だ。それは組織側とすれば当然の行動だ。けど私は、組織に従うのはやめて組織側の人間にはならないと決めたひねくれもので、組織の求める大義などことごとく無視し反抗しがちだ。かといってデビッドボウイのように決然とその意思を表明するほどのカッコよさはない。組織に疎まれる存在になれば反省して行動を改めることはせず、屁理屈並べてヤムおじさんと同じように自ら身を引く傾向にある。県職もNGOもそうだった。またそろそろ、同じことをしでかすかな。

シャクゲバ

シャクゲバ=尺八を吹くゲバラ。この世の中を生き抜くには、この姿が必要と思いこの名前にした。日々感じることなどつづっていく予定。

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