ヤムおじさん

頑張らないほうがよい。別にかつて所属したNGO代表だった鎌田實を真似しているわけではない。頑張らないのが好きというより、頑張っている人たちをみると警戒してしまう、と言った方がよいだろう。

なぜ頑張るのだろうか?もちろん少しでも頑張って、自身の給料やボーナスが上がるために頑張らざるを得ない人はいる。それを否定するものではない。医療現場では地域医療を守るため、あるいは患者のために頑張る人もいる。それは立派なことだ。頑張ることは悪いことではないとは思う。しかしひねくれ者の私は、頑張っている人は苦手だ。

と言いながらも、私自身は医者になって20年ほどは頑張ってきた方だ。休日や時間外でも患者をみにいっていた。医者になって最初の6年間で病院に行かなかったのは合計で20日にも満たなかった。それ以降も24時間365日オンコールで20年ほどは働いてきた。それはお金を得るためでも地域医療を守る、あるいは患者のためでも無かった。何度か書いたと思うが、医者になり海外支援まで行ったのは極めて個人的な興味からだった。死や病の現場を見たい、世界の現実を見たいという好奇心故の行動だった。世のため人のためという大それた考えはなかった。好奇心に加えて、患者に何が生じていて何をすれば一番いい方法かを考え、自分の解と判断が正しかったかどうか考え続ける医者の仕事は面白かった。この面白いというのは、パズルを解いたりスポーツで達成感を得るのと同じ感覚だ。自分の行った治療の結果を見届けたくて、休日や時間外も足しげく病院へ行っていたわけだ。だから私が頑張ってきた理由になんら大義はない。自分のしたいことをしてきたというのが正直なところだ。医者の仕事を楽しんでいた。だから、しんどいとか辞めたいとか思ったことはなかった。

と言いながら県職は辞めたのだが、それは嘘っぱちだらけの大義を宣うトップに反発してのもので、徒党を組んでそれに逆らうことはなく、一医療者として当時の県の管理者には与したくなく自ら辞めた。

朝ドラで、なぜ銀座のパン屋を辞めたのか聞かれたヤムおじさんは、その理由は語らずに「適当だよ。適当に生きるって決めたんだ。適当は気楽でいいぞ」と言っていた。大義などに従わずに、自分のしたいことを楽しみながら適当に生きた方がよいと、私も思う。

シャクゲバ

シャクゲバ=尺八を吹くゲバラ。この世の中を生き抜くには、この姿が必要と思いこの名前にした。日々感じることなどつづっていく予定。

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