以前私は、これからの日本は”鎖国するしかない”と言っていた。半分本気であった。グローバル化した経済社会では、世界の片隅で地道にコツコツとつつましやかに生きている人たちでも世界経済の不安定さに容赦なく巻き込まれる。土地や株価の売買など関与せず地道に自身の身の丈に合った経済活動の中で生きていても、グローバル経済の波に影響されてしまう。古くは20世紀初頭の世界大恐慌がそうであったように、大きな経済の波は否応なく田舎の小さな生活にも影響を及ぼす。そのリスクを避ける方法として鎖国というものを持ちだしたわけだ。現実的でないのは自覚していた。そこで、現実的にグローバル経済社会から我々のつつましやかな生活を守るために如何なる術があるか、私なりに考えたのがこのブログに資料としてあげている「勝手に地方創生」であり「徳島県南の地方創生」である。
経済のみでなくグローバル世界がもつ弊害からわが身を守る方策として、排他的民族主義がある。皆、自分の生活が大事だ。自身の権益を守ろうと、それを脅かすものを排除しようと主張するのは当然の権利かもしれない。質の悪いファシストが、現在の自身の権利を主張する”大衆”を扇動する。今の世界はファシズムが吹き荒れているといえる。欧米で支持を拡大させている極右政党や壁を創ろうとするトランプ政権、ブラジルの新しい大統領などその典型である。それに明確にNoと言えない世界のふがいなさに忸怩たる思いである。私の”鎖国するしかない”という言葉も、その動きを助長させているようであるがそうではない。
Fight for Liberty! Fight for Future!である。自分の孫の孫の世代まで考えると、子孫たちがどこでどのような生活をしているか定かでない。ひょっとすると排除される側の世界で生きていかざるを得なくなっているかもしれない。つまりわが身からかけ離れた未来を考える場合、民族だとか国だとかイデオロギーだとかいったものの境界線はあやふやになる。わが民族や我が国だけとか、一つのイデオロギーのみが正義とされる世界ではない。すべての民族・すべての国・あらゆるイデオロギーが共存していくべき未来のために役に立つものは何だろうか?それを考え、少しでも実現されるよう行動していこう、というのがFight for Futureの基本姿勢である。よって寛容の精神をもたず全体主義を強要するファシズムに反対である。
ここまで、反原発・反戦・反リバタリアン・反核・反ファシズムといったFight for Futureの基本姿勢を挙げた。それから派生する具体的政策などはいろいろあるが、それらをグダグダ述べても机上の空論であろう。日々のことに戻って考察していきたい。
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