諦める(無視する)

諦める、あるいは無視するというのも反抗の一つの形だろう。「またお説教か・・」と思いつつ「ハイハイ」と洗脳の言葉を聞き流し表立った反発はせず、面従腹背で過ごすのは一つの手だ。私なんかこのパターンであった。父の言葉にイラつきを感じながらも鼻でセセラ笑い、父の言うことには従わなかった。いや父の言葉だけではない。教師に対しても似たような態度だったと思う。もともと教師や世間の言うことを素直に受け入れることはなく、世の中をシラケた目で見ていた。”いい子”は親や教師の言葉を真面目に聞いて、あたかも自ら洗脳されようとするが、私は小学低学年ですでにシラケていた。シラケて諦めた態度であったから、洗脳されることはなく深くトラウマが生じることを防げたのだろう。このように、諦めるあるいは無視するといった態度は、トラウマが刻まれるのを予防する効果はある。それは実感する。しかし、一度刻まれたトラウマを克服するのに有効だろうか?残念ながら、ノーであろう。

反抗も諦めも無視も、洗脳した相手の存在を否定することで成り立つ。たとえその手法で洗脳から逃れて自己が確立したとしても、その否定の態度を続ける限りトラウマから解放されたとは言えない。自分の存在というものが他者を否定することで成り立っている場合、その自分というものは絶対的な存在ではない。相対的な存在にすぎない。周囲がどうであれ他者がどう評価しようと何を言われようと揺るぎない自分を持つことが自己の確立である。すなわちトラウマを与えた相手を否定しなきゃ成立しない自分というものは、まだまだなのだ。否定しなくても自己が安定した状態でいられなきゃいけない。つまりトラウマを与えた相手を否定するのではなく受容した時に初めてトラウマから解放されるのだ。

昨夜は結びで正代が照ノ富士に勝ち金星をあげた。大関になったもののすぐ陥落し、ここ数年はパッとしなかった正代。久しぶりに輝いた。よかったね。横綱は勝ち続けなきゃならない。相手を負けさせひれ伏させ、ヒエラルキーのトップを守らなければならない。そのために巡業では、勢いのある力士を指名しトラウマを与えるような稽古をするとも聞く。今日はどうなるか。

シャクゲバ

シャクゲバ=尺八を吹くゲバラ。この世の中を生き抜くには、この姿が必要と思いこの名前にした。日々感じることなどつづっていく予定。

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