昇華するには、自分のトラウマの正体が何なのか見つめ続け、それを何か形あるものに表現しなければならない。それはつらい作業だ。才能がなければ実は結ばない。だから一般的に手早くできるのは、トラウマを与えるものを否定しとにかく反抗することだろう。親や社会に唾を吐きつけることだ。2022年の11月の記事に、ブルーハーツの「ロクデナシ」を取り上げた。その歌詞のように、この世界に蹴りを入れて自身の価値基準を確立することだ。自由を求めていた尾崎豊も出発点はそうだろう。
私の印象では、肉体的虐待によるトラウマより精神的トラウマのほうが根が深い気がする。「死ねばよかったのに」「あんたは生きる価値ない」「生まれてこなきゃよかったのに」「おまえはきち〇〇か!」「このロクデナシが」といった人格否定によるトラウマだ。人格形成期にこのような言葉を浴びせられると「生まれてこなきゃよかった」と思い、自分の存在に自信が持てず自己肯定感は低くなる。判断能力が形成されていくときに頭ごなしに否定的言葉を浴びせられるのだ。自分の考えは誤っており、親あるいは先生の言うことが正しいのだと洗脳される。洗脳から抜け出し自分を持たなければならない。そのために洗脳の言葉にとにかく反発するのは一つの手段だ。いや、度合いはあるだろうが自己確立のためには必須の過程だ。
よい子であり続けた人は成人してから道を失いがちになると聞く。価値基準にしていた親・先生・あるいは所属する組織のもとを離れてしまうと、何をしてよいのかわからなくなる。今までは自分の判断ではなく親や先生・上司のいわれるがまま、そのご機嫌を損なわないように行動することで自身の安穏を確保していた。その行動基準がなくなってしまうと自分が正しいのかどうかわからず、自身の存在に確信がもてず不安になる。そうならずに自己を行動基準を確立するためには、権威というものを盲信せずに疑い吟味する過程を踏まなければならない。つまり、たとえ人格否定の声を浴びせられながらもそれに反発することが必要なのだ。
しかし反抗するのはとっかかりでしかない。反抗だけで終わるのであれば、それはトラウマに捕らわれたままということだ。親や学校に反抗しヤンチャをし、長じてからは反社組織に所属しボスの言いなりに反社会的行動をし続けるのであれば意味はない。派閥のボスの言いなりにしか行動しない先生方も似たようなものだろう。自分を洗脳し指示してくれるものに身を委ねているだけだ。まずは反抗し洗脳から逃れたうえで新たな自分を確立し、自分の価値基準で行動するようになることがトラウマから解放される第一歩だろう。私の兄は中学くらいから父に反抗していた。高校卒業後家出をしたのだが、その後自己を確立することに失敗した。反抗はしたが洗脳を完全に解くことができなかった。
今日は、私の推し力士の熱海富士が関脇大栄翔に勝ち2勝目を挙げ、Kさん推しの霧島がうまく豪の山を退けた。よかったよかった。
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