しばらく哲学的な書物に目を通すことをやめていた。12月30日に兄貴との待ち合わせの時間つぶしで新宿の紀伊国屋で並べられた新書に目をやり、これもあれも読まなければと焦燥感にかられた。そして一冊だけ買ったのが下記の本。
2022年の初頭から1年以上書き続けた問題をまだ引きずっているのだろう。誰かを責めたいわけではない。この問題を契機に太宰の言葉を借りて民主主義というものを考えた。また、スプリングスティーンやブルーハーツの楽曲あるいは朝ドラのセリフを借りて、人間の抱える闇や社会不適合者を一方的に排除することの危惧も表した。しかし、まだまだ見落としている観点があるのではないかと感じていた。ゆえにタイトルにひかれてこの書を買った。
組織が個人に罰を与えることは基本的には非民主的行為であるのだが、社会秩序の維持のための必要悪であり、許容せざるを得ないものだろう。これは理解している。ローカルスタッフの不正が発覚した時点で私が提案したことは、裁くことはせずに離職を促すことであった。離職を促すことの目的はさらなる被害を防ぐことがメインであるが、組織から”追放”する実質的な罰であることも認識していた。罰を与えることを無意味だとは考えてはいない。そんなに善人ではない。罰は必要だ。だが一方で、ローカルスタッフをどう”責め”、”罰する”かを相談をする理事会には違和感を感じた。
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