先に挙げた大学でのプレゼンの結びは、実は原田正純医師の言葉ではなかった。原田医師の言葉の後に、ゲバラの次の言葉を紹介した。医学生へのプレゼンだったから、不正を苦痛に、革命家を医師に変えて披露した。
『世界のどこかで、誰かが蒙っている不正を、心の底から深く悲しむことのできる人間になりなさい。それこそが革命家としての、一番美しい資質なのだから。』
もう13年前になる。ゲバラが最後を迎えたヒゲラ村に行き、彼が最後に銃を構えていた岩陰に座り、彼が捕まり処刑される前に座っていたとされる椅子に腰かけ、彼の遺体が検案を受けた洗濯場の傍らで尺八を吹いた。ゲバラは、不均衡の中で中立(A)でいることをよしとできなかったのだ。
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