長兄にとっては父は毒親だった。間違いない。父の態度が違ったものであれば、元々優秀だった長兄はまったく違った人生になっただろう。一方私にとって父はそれほど強烈な存在ではなかったが、尊敬の念を抱けるような存在でもなかった。毒親と呼んだり尊敬できないと言ったり、ひどい息子だ。申し訳ない。父がどういった人だったかも考えねばならないのだが、残念ながら書けるほどの情報はない。父と深い話をした記憶はなく、どんな経験をし何を考えて生きていたのか分からない、というのが実情だ。父は話そうとしたのかもしれない。それに耳を傾ける気をもたなかったのは私の罪であろう。先に書いたように私にとって悪い父ではなかった。いくつかの思い出を挙げる。
母親が亡くなった後も、中学の3年間は私は実家を離れて療養所にいた。父は40代後半。父が教鞭をとっていた高校から私が過ごしていた療養所まで車で1.5時間ほど。実家までは2時間ほどかかる。月に1-2回程度だったとは思うが父は仕事を終えた後、車で療養所まで来ることがあった。夕飯を終えた私を車に乗せ、近くのスーパー(母が亡くなった病院の近くでもある。父が母に付き添う時よく通っていたスーパーだろう)まで行く。コロッケとか鶏肉のチューリップ揚げといった総菜を買ってきて、食べろと渡してくれた。病院の食事はおいしいものではなかったため内心はうれしいのだが、浮れることはなくボソボソと、スーパーの駐車場の車の助手席で食べた。その間、どんな話をしたか覚えていない。何かを聞かれても「別に」とか「さぁ」「どっちでも」とか気のない返事をするばかりだったと思う。父にすれば何とかコミュニケーションをとろうとしていたのだろう。それを私は拒否していた。車で30分くらい時間を潰したのち、父は私を病院に送り届け、午後7時過ぎに長兄が閉じこもったままの実家に2時間ほどかけて帰っていった。
私が海外をウロウロしていたころ、父は80歳くらい。たまに実家に帰った時、私の車は処分していたため実家と最寄り駅の間1Km程度歩くかタクシーを使わねばならなかった。そのころ父は、白内障の手術をしていたのだが焦点が合わないのか何かを凝視するのが難しくなっていた。もちろん車の運転は危ないものだった。寒い時期の夜、海外に行くため実家から大きな荷物を抱えて駅まで行かねばならないことがあった。田舎だから夜にタクシーはない。父に乗っけて行ってもらうしかなかった。40歳過ぎの情けない息子だ。荷物を抱えて駅で降りた時、見送りはいいからそのまま帰るように父に言ったのだが、父は車を脇に止めて小さな駅舎の改札のところまできた。まだまだ列車が来るまで時間があり、父に「見送りはいい」と言ってのけて私は寒いホームに出た。10分くらいは時間があった。父から離れたホームのベンチに座ってチラチラ父を見ていた。父はずっと改札口にいた。汚れた作業服にくたびれたニット帽をかぶり、いがんだ眼鏡をかけて、片目をしかめながらじっと立っていた。列車が来て乗りこみ、一応私は改札口側の席に座って動き出したとき父の方に少しだけ目をやった。父は小さく手を振っていた。私は何も反応を示さなかった。情けない息子だった。
父にとっての祖父である曽祖父は怖い人だったと聞く。校長をしていた。残っている遺影では髭をたくわえいかにも校長といった風情で、堅物だったろうなと想像される。祖父(父の父)も校長で、退職してから村長や教育委員長・林業や茶業の組合長も務めていた田舎の名士だったのだが、私の記憶ではそれほど厳しい人ではなかった。むしろ音楽や俳句・釣り・狩猟などを楽しむ自由人だったという印象が私にある。才能あふれる人だった。祖母(父の母)は優しい人だった。文句ひとつ言っているのを聞いたことがない。ただ気になるのは祖父と祖母はあまり仲が良いようには見えなかった。何か秘密があるような雰囲気だった。そして父と祖父も打ち解けた雰囲気はなかった。父もひょっとすると祖父(もしくは曽祖父)から厳しく育てられてのかもしれない。父もトラウマを抱え、守ってくれなかった曽祖父(もしくは祖父)をずっと嫌悪感を抱えていたのかもしれない。あるいは祖父のような才能がないことに劣等感をもっていたのかもしれない。父は教員にはなったのだが、最後まで昇進試験は拒否し平教員のままでいた。それは祖父(もしくは曽祖父)に対する当てつけだったのかもしれない。
私は高校の頃、声色に加え歩調・足音が父とそっくりになったのに気が付き、間違いなく父の血を引いていることを実感し嫌だった。だから教員にはならない道を選んだ。父は私にとって反面教師だったのだが、私を気にかけ育ててくれたのは間違いない。それに感謝せずに一方的に私の方から拒否をしてきたのは私の愚かさだろう。申し訳ない。
父が話すことの多くは天気のことだった。それしか話題のない人ではあった。今日、Kさんを見送った時私は「昼は暖かいけど、夕からは雨が降るらしいよ」といった。間違いなく父の血を引いている。
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