福島原発事故から12年だ。地震直後には既に炉心溶融が生じ、12年前の今頃広範囲にわたる放射能汚染が生じた。福島にはその年の5月から断続的に関わっていたが、医者として働き始めたのは2012年の夏からだった。月に4-6日の勤務で、コロナ禍で途絶えたり海外に行くため休んだこともあったが、延べで100週以上。すなわち積算で2年ほどは福島で過ごしたことになる。残念ながら、今回3月16日で福島の仕事は終了となった。もう少し継続したい思いはあるのだが、勤務先の病院で内科外来をこなす医者が何名か確保でき、遠方から高いお金を出してまで私を雇う意味はなくなった。非効率的な雇用であり、私を切るのはまっとうな経営判断。文句などない。
以前にも述べていると思うが、医者になったのも、海外で支援にあたるようになったのも、そして福島で働くようになったのも、現実を見たいという私の個人的興味からである。決して人助けをしたいというボランティア精神からではない。野次馬的な興味本位であって褒められるような動機ではない。それを自覚しているから先方に迷惑はかけたくない。不埒な動機であっても総合内科医として有効な働きはしてきたと思う。私の興味を前面に出して迷惑をかけるようなこともしなかった。だが、受け入れてもらうことで病院側に経済的負担をかけるのはよろしくない。コロナ禍以降は、給料に見合った働きをできていないことは十分承知していた。だから首になっても、残念ではあるが文句などない。言える筋ではない。
福島事故を受けて書いたブログをarchive2として残している。ハイになりすぎ、ふざけたことも書いている。非難されるようなことも書いており削除すべきブログかもしれないのだが、責任をとる意味で残している。この中に”愛のオヤジ”と書いている。愛でもって何ができるわけではない。何かできたわけではない。究極的には愛は無力だと思う。けど、正義を振りかざし人を征服するよりましだ。そして愛の本質は、たとえ無力であろうと心に留め置き続けることだと思う。
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