与論

明日から沖縄そして与論に行く。目的は昨年59歳で死んだ兄のお骨の散骨だ。彼は、実家のお墓には入りたくないといっていた。しかし、彼の希望通りにしてやるわけにもいかず昨年末に納骨した。せめて彼の希望していたいくつかのところにお骨をまいてやろうと思っている。

彼の遺品の携帯の中に、3か所ばかり散骨してほしいところをメモしていた。2か所はもう済んだ。残りの一か所が与論島の百合が浜。おそらく家出をした後、バイトをしていくらかのお金をためて旅行したのだろう。夢をもち活力に溢れ、青春を謳歌していた彼。酒とパチンコに溺れ身を持ち崩す前のほんの一時、楽しい時間を過ごしたのだろう。「こんなところで暮らせたらな」と儚い夢を描いていたのだろう。行かないわけにはいかない。

しかしここへきて、一緒に行く予定だったKさんが「行きたくない」と言い出した。終戦前の沖縄の悲劇を恐れている。スピリチュアルなものに敏感なKさんは、悲劇の地に足を踏み入れることが怖いようだ。

けどごめんね。私は行かないわけにはいかないんだ。確かに、沖縄ではとんでもない数の人々が不条理に殺された。無念だっただろう。”怨念”というものがあるのかもしれない。けど、恐れてはいけないと思う。沖縄だけでない。ヒロシマ、ナガサキ、アウシュビッツ、パレスチナやイラク、シリア、アルメニア、ベトナム、チェチェン、南ア、ルワンダ、チモール、旧ユーゴ、チベット、ボリビア、チリなどなど。世界中にはそんなところが満ち溢れている。そのような地に立ち、人生を全うできず殺されてしまった人たちの無念さに想いを馳せることは大切なことだと思う。私の兄の儚い夢に想いを寄せるのと同じことで、大切な供養だと私は思う。だから、Kさんが行かなくても私は行く。

シャクゲバ

シャクゲバ=尺八を吹くゲバラ。この世の中を生き抜くには、この姿が必要と思いこの名前にした。日々感じることなどつづっていく予定。

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