責任逃れ

自分の罪を思い返さず自身の罪に気づかない人は、平気で他者に罪を転嫁する。巨大公共事業における元請けの大手企業などいい例だろう。元請けの一流企業は政府などと事業契約し、専門業者などと請負契約を交わす。時には孫請け・さらにその下の請負業者が実際の工事を担うことになる。その下請け・孫請け業者などに不法就労や劣悪な労働環境・違法な中抜きなどの問題があったとしても、元請けの巨大企業は「請負契約だから請負業者内部の問題に元請けには責任はない」という顔をする。よくは知らないが、請負契約であれば管理責任などはないのかもしれない。法的には責任はないにしても道義的責任はどうなんだ?罪の意識はないのか?と疑問に感じる。契約において、元請けは自社の利益を確保するためにいろいろなお金を差し引く。一流企業の元請けにふさわしい賃金や手当を確保し、そのしわ寄せは下請けや孫請け企業に及ぶ。下請けが十分な賃金を確保しようにも、契約自体が力のある元請け主体で決定されておればそれは無理だ。下請けや孫請けの社員たちは低賃金で汚く危険な仕事をせざるを得なくなる。元請けは、そこに罪を感じるべきだと私は思うのだがどうなのだろうか?残念ながら、世の中はそうではないようだ。

元請けだとか雇用主が、孫請けや被雇用者の生殺与奪の権利をもっているかのように振舞うことがある。元請けあるいは雇用主には特権があり、下請けあるいは被雇用者はそれに逆らい文句をいう権利はないと思っている。元請けの決定に下請けの不満が爆発し、元請けに嚙みつくことなど想像しない。想像できたとしても、自分たちの行動が過っていたと元請けは思わない。噛みついてきた下請けの質が悪かったからだと考え、それを排除する。で、解決だ。罪の意識のない元請けは、自分たちに与えられた当然の権利だと胸を張りのうのうと生き残る。世の中、そんなものなんだ。

シャクゲバ

シャクゲバ=尺八を吹くゲバラ。この世の中を生き抜くには、この姿が必要と思いこの名前にした。日々感じることなどつづっていく予定。

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