これからあることに触発されて、三つのことを書く。原罪の否定、責任逃れ、差別。この3つだ。まずは原罪の否定について。
研究したわけではないが、旧統一教会の教義ではキリスト教の原罪説の解釈が特殊だそうだ。教祖のマッチングにより合同結婚式に参加すれば原罪はなくなるそうだ。「ありがたい教祖様の指示に従い結婚すれば、原罪はチャラにされ思い悩むことはなくなります。生まれた子供たちは祝福された神の子になります」とのこと。おそらくは、「沢山ツボを買いましょう。我が教祖様のありがたい経典を買いましょう。そうすれば原罪に思い悩むことはなくなります」とも言っているのだろう。なるほど、旧統一教会の会合に呼ばれ演説をしたり、機関誌の取材を受けて顔を売ったり、よくわからないまま電報出したりした議員さん連中はこぞって自身の罪の自覚が乏しい。原罪は消せますよと言っている宗教の恩恵に与って、罪は消えてしまったと考えるのだろう。旧統一教会の関係者も、多額の献金は個人が決定したものであり我々は悪くないとも言っている。この宗教に集まってくる人たちは「私は悪くない」と思いたい輩ばかりなのだろう。
議員さんたちは、多額の献金で自己破産や一家離散などの問題を抱えた団体にお墨付きを与えるような行為をしでかした。それは被害者信者たちへの直接的な関与ではない。しかし「お偉い議員先生方も付き合っている団体だから大丈夫よ」という考えを後押ししたのは間違いない。入信したり深みに入り込む信者を生み出した誘因の一つであることは否定できない。そこに罪を感じることはないようだ。そういった人たちは嫌いだ。
自分の罪を見詰めずに人を裁くことは罪だ。SNSでの誹謗中傷やヘイトスピーチはそんなのばかりだ。俺も一緒か。
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