アラビア語で فظاظة と書くらしい。何と発音するのかはわからない。分かったところで私には発音できない。英語では””Rudeness”と訳されるようだがこれは無礼の部分のみの訳だ。superficially polite but actually rudeとか、rude under a veneer of politenessとか、 courteous on the surface but insolent at heartと訳されるのが正解だろう。以上はネットからの翻訳。
慇懃な態度の典型は、自分に益をもたらす顧客に対する態度であろう。医者に対する製薬会社のMRさん。”患者様”に対する医療スタッフ。大学病院医師に対する地方の役人さん、多額の預金者に対する銀行員。などなど私の経験するものではこんなもの。相手方から何らかの益を得るためには、相手から不評をかうのは絶対に避けたい。できれば気に入ってもらいたいから丁寧に接しようとする。”人”と”人”の関係を構築することは直接の目的ではない。相手方の”人”に重きがあるわけではなく、相手方の持っているお金などの私物・資格・能力・時に情報が重要であり、それを相手から引き出し、分け与えてもらうことで慇懃な態度の目的は達成される。だから相手方を心の底から”人”として扱う必要はない。見かけ上でも構わないのだ。ビジネスなのだ。慇懃な態度の裏に潜むこのような意図に気づき、自分を”人”として扱ってくれていたわけではないとわかった時、その慇懃さは慇懃無礼と評されるようになる。
欧米中心の世界の中で、アラブは常に爪弾きにされてきた。ファイサルはローレンスの態度の中にビジネスを越えた真摯なものを感じていたかもしれない。ローレンスからすれば真に”人”としての関係構築をしたかったのかもしれない。しかし、それは破れた。ローレンスそしてイギリス国家が、”人”としてアラブ人を見ていたわけではないと悟った時のファイサルのくやしさ・悲しさ・怒りはどうだったろうか?ローレンスの後悔の比ではなかったことだろう。
今でもそれは変わらない。
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