さて、未来への責任を果たすために我々は具体的にどのような行動をすべきでしょうか?未来のことは誰にもわかりません。神のみぞ知るです。しかし我々政治家は往々にして、この政策を実行すれば100年先も大丈夫!と言い切ることがあります。本当でしょうか?そんなものがあるでしょうか?残念ながらそんなものはありません。未来は不確実です。どのような政策であっても、我々の未来は絶対に大丈夫だと言い切れるものはありません。絶対にありません。不確実でありながらも政治家は未来を見据え、よりよい未来になるよう具体的方策を立て実行していかねばなりません。なかなかむつかしいことです。しかし未来世代の生存を脅かすような致命的なミスはしてはいけません。そのためにできることは、絶対的と言い切れなくともより正解に近い方策は何か、今まで蓄積してきた経験や人類の叡智である科学的知識を駆使しながら真摯な態度をもって考え続けることでしょう。しかしそれでも過ちは生じる可能性はあります。ですので最も大事なことは我々が打ち立てる政策は常に過ちを包含していることを前提に、実行してきた施策を常に振り返り、よりよいものに改善していくシステムをもつことです。未来への責任を果たすためには必須です。自身の施策への過信を捨て去り、我々がしてきたことを謙虚に省み、正すべきものは正しながらよりよい未来を求めて改善し続けていくことであります。傲慢な態度で自身の施策に対する批判を無視・封殺し、振り返り作業を恣意的に拒否してはなりません。進歩は生まれず停滞・逆行するのみです。
残念ながら今の自民党政治にはそれが欠けています。例えばコロナ対策です。菅前総理が言うように、ワクチン接種はコロナ感染鎮静化に大いに効果を示したといえるでしょう。しかしどうでしょうか?アベノマスクは効果があったのでしょうか?無駄な予算を費やしただけでなかったでしょうか?Gotoキャンペーンはどうだったでしょうか?感染の火種に油を注いだだけでなかったでしょうか?PCR検査の拡大は有効に活用されたのでしょうか?水際対策は機能したのでしょうか?なぜデルタ株の蔓延を防げなかったのでしょうか?今夏のオリンピック開催は適切だったか?病床確保の方法は効率的だったのか?残念ながら今夏、コロナ感染により医療にたどり着く前に死亡した方が数多くいました。諸外国に比べればわずかな数だという方がいるかもしれません。しかし、オリンピックを中止しワクチン接種と野戦病院の設置に資金と人材を注入すれば、この夏のコロナ感染により失った貴重な人命のいくらかは救えたと私は思うのです。オミクロン株の脅威が叫ばれている今、そういったことを振り返りながら、よりよい対策をせねばなりません。そのためには望ましい結果をもたらしたことのみを主張するのではなく、してきたことすべてに対し批判も含めて真摯な振り返りが必要なのです。
コロナ対策だけではありません。安倍政権では数々の批判を浴びた事例がありました。モリカケ問題、桜をみる会、自民党議員の汚職、河井議員の選挙資金問題など、過ちを明らかにし改善していかねばならない問題が多数ありました。しかしすべてにおいて自民党政権は蓋をしてしまいました。党利党略のみで政策を遂行していけば民意が乖離していくのは当然です。それのみでなく、同じ過ちを繰り返し未来世代に負担をかける事態を生じかねません。未来への責任を果たすためには、第三者的な態度をもって謙虚に施策の一つ一つを反省していかねばなりません。我が党は約束します。政策一つ一つについて、第三者的客観的評価をおこなう常設の委員会を設置いたします。我が党にとって不利だといって、それを拒否することは致しません。すべての批判に目を通し、未来世代にとって不利益であると判明すれば直ちに改めます。しかしその批判が、今の我々のみの利己的態度に基づいた批判であれば反論させていただくことでしょう。そういった議論を繰り返し政策を実行していくことで、未来はよりよいものになっていくと私は信じています。
では、具体的にどのようなシステムを構築するかですが、それは少々長くなるためここでは省略させていただきますが、ヒントとしては参議院です。良識の府と呼ばれながら今やミニ衆議院となり存在意義の問われている参議院を、政策を常に客観的に評価・検証する機関に改革できないかと夢想しております。
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