昔見ていた患者さんが先月末に亡くなっていたのを知った。早苗ちゃん、享年59歳、私と同学年になる。独身で身内は年老いた母親だけだった。彼女は遺伝子疾患ゆえに、軽度の知的障碍と運動障害があった。私が常勤で働いていた時に癒着性腸閉塞で入退院を繰り返していた。腸閉塞が生じると大騒ぎするのが定番だった。経鼻胃管を入れると楽になり治るのは早いのだが、絶対に入れさせてはくれない。そのため腹痛と嘔吐でしばらく苦しみ、その苦しさを我々医療者や付き添ってくれている母親にぶつけていた。小学生低学年のように泣きじゃくりながら、どうしようもない自分の苦しみをお母さんに訴え騒ぎ立てていた。そんな彼女の背中を母親がずっとさすっていたのを覚えている。早苗ちゃんの機嫌のよいときは二人で病院に来て、他愛のない会話をしながらつつましやかな生活を続けていたようだった。先日その病院にバイトに行ったとき、外来受診しているその母親を見かけた。もう90歳手前、私の事は忘れていた。「早苗ちゃんはどうです?」と問いかけた時、付き添いの介護士の方が事情を説明してくれた。ここ数か月は寝たきりの状態で市内の長期療養でいたが、最後は嚥下ができなくなったため地元の病院に帰り、お母さんに看取られながら嚥下性肺炎で亡くなったとのことだった。
15年ほど前、桜の下で彼女の写真を撮ったことがあった。「今度来たら渡すね」と言っておきながら渡せずじまいだった。どこかにないか、古いメモリーカードなど見てみたが見当たらなかった。ごめんなさいね。ここに挙げたのは、探す途中で見つけたイラク・バスラのサブリーンの絵。
彼女と母親、および15歳でがんで亡くなったサブリーンの人生を想う。非生産的だっただろう。国からすればお荷物だったのだろう。「価値はねぇ」と○○水脈(みお)議員とかアソウ副総裁なんかはいうのだろう。・・・・・・それがどうした!
0コメント